事実は小説よりも樹なり・ハワイ編24
勉強の話 2 (2003'04'07)




かつてのハワイ国王カラカウアが建てた
米国内唯一の宮殿「イオラニ・パレス」

 ここのところ、堅い話題が続いてしまった。そこで、今回は久し振りにハワイ大学での授業の様子について。

 ぼくにとって2回目の学期であると同時に、ハワイ大学での最後の学期でもあるスプリング・セメスター(春学期)は、1月に開始し、5月の半ばに終了する。途中春休みは、2ヶ月間もある日本の大学と違い、3月最後の1週間だけ。その代わり、5月半ばに終了した後は、8月後半に秋学期が始まるまでの間、3ヶ月以上の長い長い夏休みとなるのだ。

 さて、このスプリング・セメスター、ぼくは5種類の授業を取った。まず、アメリカン・スタディーズ学科の「Contemporary American Domestic Issues(現代米国国内問題)」。この授業では、主に文献を読みながら、現代米国に付随する様々な問題を考えるというもの。今までに、黒人貧民層、公害、低賃金労働者、食の安全、先住民族問題といったものを扱った。授業では読んだ文献を基にディスカッションをし、それぞれの文献ごとにレポートが課される。以前ここで書いた「 ローザ・リー:アメリカ都市に住む母親とその家族 」、「 Fast Food Nation(ファースト・フードの国) 」といった本も、実はこの授業で読んだものである。英語を母国語としない自分にとって、本を1冊読み切るのは中々大変で、大体1冊を読むのに24時間から36時間はかかってしまう。仮に24時間だとして、一日2時間読んだとしても2週間近くかかってしまう。そのため、レポート提出日の前々から計画的に読み進めておかないといけない。

 とはいえ、米国の、日本にいるだけでは分からない本当の姿を、留学することによって実際に感じたいと思っていたので、この授業は非常に興味深い。

 次の授業は、同じくアメリカン・スタディーズ学科の「Japanese American(日系米国人)」。日本から多く移民が流入したハワイでは、現在でも約120万人の人口のうち、約20万人を日系人が占める。現在彼らは、政治、経済といった分野で多く活躍しているのだが、明治時代、サトウキビ畑の労働者としてやってきた彼らが、日米開戦の時代を経て、どのように発展していったかを扱う。授業後半では、米本土カリフォルニアや、南米ブラジル、ペルーといった所の日系移民とも比較考察を行うようだ。自分の研究テーマである「 沖縄問題 」を考える上でも、沖縄から移民としてハワイをはじめ世界中に散らばっていった人々の歴史、意義、ネットワークを勉強することは有益である。

 教室で受ける授業としては、これらの他「英語の聞き取り・会話」のクラスを1つ受講しているが、あとの2つの授業は、体を動かすものを取っている。「空手」と「フラ・ダンス」だ。

 「空手」は、日本でも大学のサークルで練習しているため、別にハワイにまで来て新たに習うこともないのだが、単純に、英語で日本人以外を対象に教えられる空手というものに興味があって受講した。自分自身、以前日本での留学生に英語で空手を教えた経験があるのだが、授業で先生の説明を聞いていると、なるほどそういう風に説明するのか、と勉強になる。例えば、「下段払い」と呼ばれる受けをする際には、一度肩の辺りまで手を持ってきて、一旦手をクロスしてから受けるのであるが、その動作のことを「Windup」と言っていた。もとは野球で投手が投球直前に腕を頭上にあげる動作のことを言うのだが、これには思わず納得。

 最後に「フラ・ダンス」であるが、前からダンスを習いたかったことに加え、せっかくハワイに来たんだから、と受講を決めた。受講している25人ほどの学生の中、男子学生は自分をいれて4人のみ。フラ・ダンスにはkahiko(カヒコ)と呼ばれる古典的なスタイルと、’auana(アウアナ)と呼ばれるモダン・スタイルの2つがあるのだが、授業でやっているのは古典的なスタイルのほう。踊りに加え、oli(オリ)と呼ばれる歌も歌う。歌詞は全てハワイ語で覚えるのが大変。この授業、初心者向けとはいえ、進度が速く、慣れない動きを覚えるのに毎回四苦八苦している。中には経験者の学生も何人かいて、そういった人たちのダンスは、もうため息が出るくらい優雅で軽やかで上手なのだが、自分はと言うと、長年の空手の経験の故か、どうもカクカクとして硬くなってしまう。恐ろしいことに、この授業、試験の代わりに発表会があり、その発表会、観客からお金まで取るという本格的なものなのだ。動きを覚えるだけでも精一杯なのに、その上、人様の前で入場料を取って踊るだなんて…。

 発表会は、実はすでに今月の最後と迫ってきてしまっている。そのため、ルーム・メートがいないときに、こっそりと1人、部屋で練習している毎日である。