事実は小説よりも樹なり・ハワイ編21
Fast Food Nation (2003'03'17)




大学構内にもファーストフード店はあります
これは、ハワイ大学構内にある
「タコベル」というタコスのファーストフード店

 本を読んだ。「Fast Food Nation (ファーストフードの国)」という、ファーストフードの持つ問題性を指摘した、ベストセラーになった本だ。作者のEric Schlosserは、人々が無意識のうちに食べているファーストフードについて、その明るくて楽しげな表面的なイメージの裏側で、本当は何を食べているのか、どんな問題をはらんでいるのかを知るべきであると思い、この本を執筆したという。

 内容は、大きく分けて前半と後半に分かれている。前半はファーストフードの歴史、マクドナルドの成長過程、店員や組合の悲惨な状況、フランチャイズといった、ファーストフード産業そのものについて。そして後半では、フレンチフライや牛肉について、畑や放牧場、屠殺場の状況を丹念に取材しながら伝えている。屠殺場での労働環境は、作者によって「the most dangerous job (最も危険な仕事)」と表現されるほど、事故や怪我が絶えない劣悪な労働環境となっている。こういった、消費者や労働者を軽視した効率至上主義が、検査体制の不備につながり、O-157や狂牛病(BSE)といった牛肉汚染をもしばし引き起こす。ハンバーガー、フレンチフライとコーラといった組み合わせは、多くの脂肪分、糖分を含んでいるため肥満の原因となり、それがもとで健康を害すのはもちろんだが、それに止まらず現在では牛肉の安全性自体が大きな問題となっている。作者はO-157に汚染された牛肉のハンバーガーによって命を落とした子供について触れ、多くの場合こういった牛肉汚染で命を落とすのは、まだ免疫システムが完全でない子供達であると述べている。

 本の中に、日本のことも紹介されていた。
“ The nation’s traditional diet of rice, fish, vegetables, and soy products has been deemed one of the healthiest in the world.” (Schlosser, 242).
(米、魚、野菜、大豆加工品といった食生活により、日本は世界で一番健康な国であると考えられてきた。)
 しかし、文はこう続く。
“ And yet the Japanese are rapidly abandoning that diet.”(Schlosser, 242).
(だが、日本人は急速にこの食生活を捨てつつある。)
 本を読みながら、以前TV番組で紹介されていた「slow food (スローフード)」という言葉を思い出した。これは、ファーストフードの対義語で、ゆっくり時間をかけて作り、食べる食事のことをいうらしい。ファーストフード時代の現在でも、食事に多くの時間を割くイタリアやスペインといった国が、この「スローフード」の本場だという。日本も、本来はこの「スローフード」の食文化の国である。しかし同時に、そのTV番組で若いタレントがいみじくも、こうつぶやいていた。「でも、こういうファーストフードって、たまに無茶苦茶食べたくなるよね。」その言葉に、思わず同感してしまったのであるが、その理由は、やはり子供のころから食べ続けて育った結果であると思う。このことについて、作者はこう述べている。
“A person’s food preferences, like his or her personality, are formed during the first few years of life, through a process of socialization.”(Schlosser. 122). “The flavor of childhood foods seem to leave an indelible mark, and adults often return to them, without always knowing why. These ‘comfort foods’ become a source of pleasure and reassurance, a fact that fast food chains work hard to promote.” (Schlosser, 123).
(人間の味の嗜好は、性格と同じように、人生の最初の数年間で社会化の課程を通して形成される。子供時代に味わった味は、いつまでも残る跡を残し、大人はしばし無意識のうちにそれへと回帰しようとする。この「慣れ親しんだ味」が喜びと安心になる。ファーストフード・チェーンが子供への宣伝に非常に力を注いでいる所以はそこにある。)

 では、そもそも、どうして本来「スローフード」の国である日本にマクドナルドは受け入れられたのか?1971年に最初のマクドナルドが日本に上陸したときには、それは誰にとっても「慣れ親しんだ味」ではなかったはずだ。

 ぼくは、その理由は「米国への憧れ」だったのではないかと思う。貧しい敗戦期から高度成長期を経て、多くの米国の商品は、それへの憧れと共に日本人に受け入れられたのではないのだろうか。それを考えさせられる事柄を一つ。ハワイのマクドナルドでは「ご飯」を食べることが出来る。楕円形のプレートに、卵とソーセージ、それと盛られた白いご飯。注文すると醤油と共に渡される。翻って日本は、ハワイ以上の米消費文化であるにも関わらず、マクドナルドのメニューに「ご飯」はない。これも、もともと「マクドナルド」=「米国の象徴」であることが求められた所以ではないだろうかと思う。マクドナルドで日本的な米を出すことは、そのイメージの否定につながる。

 さて、米国人の高い肥満率の原因の一つであるとも言えるファーストフード。米国に旅行しマクドナルドに行くと、そのコーラやフレンチフライのサイズに驚嘆するというのは、日本人観光客の共通した感想であるが、この「食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ食べる。」という姿勢は、どうやら食生活だけの問題ではないのかもしれない。今週中にも、米国は国連決議案なしでイラクへ攻撃を開始するとの見方が有力だが、こういった忍耐や我慢を欠いたまま、ただ自分の欲望の、自分の論理の赴くまま行動する姿勢は、前述したそれと何か通じるものを感じてしまう。もはや脳の満腹を知らせる神経が正常に機能していないのでは?と冗談半分で心配してしまうのだが、「対イラク攻撃、湾岸戦争の10倍にあたる空爆を見込み」(毎日新聞03年3月18日)などという報道を聞くと、やはり、どう考えても際限や限度というものに欠けているように思える。むしろ、こういったファーストフードを食べて育った大人達によって、今の米国は形成されているのだと思う。

 ファーストフードは、米国の世界的反映の象徴になった。それと同時に、肥満やO-157といった負の側面をももたらし、それによって犠牲者も出した。さて、今度のイラク攻撃では、どんな負の側面がこの国にもたらされるのであろうか。