事実は小説よりも樹なり 1999
1999年度重大ニュース発表!
HEAVEN OR HELL



天国 ・早稲田大学法学部合格(3月)

 現役のときは、早稲田だけしか受けずに、結局6学部全部落ちたぼくですが、さすがに二年目となると後がないので、滑り止めで明治と成城も受験しました。一番最初に受けた成城大は合格できたものの、次に受験した明治大は不合格。続いて発表だった早稲田の教育学部も落ちてしまいました。
 滑り止めで受けたわけですから、本来ならば軽く合格しなければならないはずなのに続く不合格で、さらに難しいとされる本命の法学部の合格はちょっとおぼつかないのではと不安感が増してきました。
 が、その本命の法学部に、日本史の「夫婦漫才エンタツ・アチャコの得意ネタの名前は?」という問題に答えられなかったにもかかわらず合格。続いて商学部も合格し、なぜか入りやすいとされる社会科学部に不合格という結果。
 この受験の最大の成果は、もちろん希望の大学に入れたということもそうですが、それ以上に何事でも努力を欠かさず、尚且つ要領よく続ければ達成できるという自信がついたということだと思います。

天国・屋久島・沖縄・台湾へ放浪の旅に(9月)

 旅に行く当日に、両親に「今から南の島に行ってくるので2週間ほど帰ってきません。」と言ったら、そんなことを、いきなり言うやつがいるかっーって怒られました。
 元々のこの旅をしようと思ったきっかけは、高校のとき見たテレビで沖縄から宮古・石垣島経由で台湾まで行く船の存在を知り、それを見て以来、ぼくも飛行機ではなく船で外国へ行くという経験をしたいと思ったことでした。しかし、沖縄で港に行ったらカウンターのお姉さんに、船は今ドッグに入っていると言われ、乗ることができず、しかも、「どちらにせよ、3日前迄に御予約されてないお客様はご乗船できません。」と勝ち誇ったようにいわれ、ぼくのような行き会ったりばったりの人は乗せてもらえないとのことでした(泣)。仕方がないのでぼくは、そのまま近くの格安航空券ショップに飛び込み、悪評高い中華航空の格安チケットを買って空路台湾へと向かいました
 その後、台湾に着いてからの話はこちら。

天国 ・再度、沖縄へ遊びに(10月)

 夏に沖縄を訪れて以来沖縄フリークになったぼくは、日に日に寒くなっていく東京に嫌気が差す一方であの暖かい沖縄が恋しくてたまらなくなり、沖縄出身でもないのに「沖縄に帰る。」と周りに吹聴し また遊びに行ってきました。
 北谷でお昼ご飯を食べようと羽賀研二のレストランへ行ったら、やたら顔の濃いぃお兄さんに「ご飯まだですか?よかったらどうですか?」と客引きされ、よく見たら羽賀研二本人でした。なんか、いい体験したなと思う反面、研ちゃん仕事ないんだなーと思ってしまいました。 沖縄の観光紹介はこちら。

地獄 ・美容師が無免許(10月)

 近況報告にも書いた、いつも髪を切りに行っている美容室の担当の美容師が無免許だったと言う話。
 (詳しくは、DIARY'99.6〜12 の10月部分を参照して下さい)
 一応、地獄にしといたけど、自分的には結構貴重な体験したし、おいしいネタになって、どちらかというと天国?みたいなところもある。

天国 ・大学で鴻上尚史の10回にわたる授業を受ける(9〜12月)

 ぼくが、早稲田の法学部を志望した理由はいくつかあるが、そのうちの一つに、ぼくの好きな演出家・鴻上尚史の出身であったからという理由がある。彼が学生のとき早稲田で何を見て何を考えたか、同じ場所に行って自分も見て感じたかったのだ。
 そして、運がいいことに丁度今年から鴻上尚史が早稲田で非常勤講師として授業をやっていたのだ。早速モグリに行ったのだが、実際彼の授業はただ面白いだけでなく、大変役に立った。
 これと重なって、すっかり沖縄フリークになっているぼくが三百人劇場で沖縄の劇団が芝居をするというので観に行ったら、偶然彼も観に来ていて、ちょっとだけ話をすることが出来た。ただ、舞い上がって緊張してしまいましたが。

地獄 ・車に轢かれる(11月)

 先ほど書いた「南の島への旅」は途中まで友達数人と行動していたのだが、、そのとき一緒だった仲間と吉祥寺で飲むことになった。
 ぼくは、旅中で彼らと一緒のときよく海の岩場で擦りむいたりして血を流していて、その日も「怪我しすぎー!」という話題で盛り上がった。
 結局場所を変え変え明け方まで一緒に居たのだが、その後、自転車での帰路の途中ぼくは何と交差点で車にはねられてしまったのだ!顔面血タラタラ。救急車呼んでもらって病院行ってすぐ何針かまぶたを縫って、病院終わってからも警察行って調書作ってと大変でした。左目のまぶたを縫ったから、そっちだけ脹れて半分つぶったようになって、ライフスペースのグルみたいになってしまうし。
 そしたら次の日、そのことを知った友達から、いくら怪我しすぎといっても、さすがに 車に轢かれるというのはやりすぎと言われてしまった・・・。
 今回、轢かれてみた感想としては、車に轢かれるなんていう経験は、一生のうちに経験しないですむのなら、経験しないほうがいいんだろうということです。大地震や、戦争と同じように。
 って、あたりまえなんだけどね。

天国 ・空手黒帯取得(12月)

 ぼくは、中学・高校と空手部に所属していて、高校の最後の一年間は主将までやっていましたが、黒帯になる一歩手前「初段補」というところで受験へと突入してし中断。大学に入ってから、やはり大学生色々忙しくなるだろうし、どうしようか迷いましたが、やっぱり、自分の中で中・高とやってきた空手が今いち中途半端なままになっているのが気にかかって、大学でも空手のサークルに入って再開することにしました。
 練習を続け、黒帯の審査も12月に受けることに決まったのですが、そこで前に書いたように車に轢かれてしまい、運悪いことに昇段審査を傷を抜糸した三日後に受けることになってしまったのでした。もちろん、審査には組み手も含まれます。なるべく顔面には攻撃を受けないようにとはしてましたが、結局、抜糸したほうも、そうじゃないほうの目も、唇もぼこぼこと殴れることに。また、組み手の他に板を3枚割らなくてはいけないのですが、これも割れるまでなかなかてこずってしまいました。
 しかし、それらを何とかクリアし、「初段に列す」という免状と黒帯をもらったときは、やっぱりうとうれしくなってしまいました。

なんか、色々あった一年だったけど、こうやって振り返ってみると面白いもんだね。