事実は小説よりも樹なり・ハワイ編27
真珠湾・潜水艦ボウフィン号と戦艦ミズーリ (2003'04'29)




戦艦ミズーリ
正面に見える白亜の建物が
アリゾナ記念館

 今回は、真珠湾について。
 以前も書いたが、一言で「真珠湾(パール・ハーバー)」といった場合は、ハワイ・オアフ島の米国海軍軍港となっている湾そのもののことを指す。その湾内に、1941年12月7日(日本時間同8日)の日本軍による真珠湾攻撃によって沈没した戦艦アリゾナの記念館をはじめ、第二次世界大戦で活躍した潜水艦ボウフィン号、日本軍無条件降伏の調印式の舞台となり、湾岸戦争でも使用された戦艦ミズーリなども展示・保存されており、通常観光客が「真珠湾へ行く」といった場合、これらの記念館、展示を指す。

 アリゾナ記念館については、すでに以前紹介した。 今回は、残りの2つ、潜水艦ボウフィン号と戦艦ミズーリについて紹介したい。

 まずは、潜水艦ボウフィン号について。全長93.6m、排水量1810トンのこの潜水艦は、ハワイの日本語新聞「パシフィック・プレス」の記事によると、1943年12月7日に建造され、翌年9月から任務につき、1945年5月までに9回にわたり日本近海に出動、主に商船を攻撃し、大型船舶16隻、小型22隻を撃沈した。撃沈した船名の一部をあげると、霧島丸、小倉山丸、泰南丸、図南丸、松祐丸、月川丸、新京丸、べんがる丸、対馬丸、長和丸、大東丸などがあるという。(1981年12月1日号)

 以前、えひめ丸について書いたときも紹介した が、この内、沖縄からの学童疎開船であった対馬丸は、この魚雷攻撃を受けて、1484人の死者を出した。犠牲者の多くは、沖縄から疎開をする子供たちや女性たちであった。

 見学者は、潜水艦の内部に入って、船首から船尾に向かって見学をする。船首に6本、船尾に4本の魚雷発射管があり、出動中は常に魚雷が発射出来る状態になっていたという。魚雷発射管を見ながら、実際にこの発射管から発射された魚雷が、対馬丸をはじめとする多くの民間船を沈没させ、莫大な数の命を奪ったことを考えたら、非常に気分が悪くなった。隣の戦艦アリゾナ記念館では、真珠湾攻撃による米軍の被害の数字を挙げているのに、このボウフィン号では、沈没させた船、および死者の数には触れられていない。何か間違っていやしないか?

 順路を進み、潜水艦内部を見学しながら、つくづく「必要は発明の母」だなと思ってしまった。潜水艦など、戦争・軍事目的でなかったら、そんなに発展するものでもないだろう。内部を一通り見学した後、甲板の上へと上がる。甲板砲の横には、撃沈した船の数だけ日章旗がペイントされていた。その数の多さにゾッとする。写真では分かりづらいが、一番上の列とその下で日章旗のデザインが違う。憶測であるのだが、沈没させた戦艦と商船を分けてペイントしたのであろう。そうだとすれば、ほとんどが商船だという事実に、よくこうも誇らしげにペイント出来るものだなと、半ば呆れ、半ば不愉快に感じてくる。民間人が1000人以上乗る商船を沈没させたことは、この潜水艦にとっては名誉なことであるのだ。

 次に戦艦ミズーリについてだが、1944年12月から任務につき、第二次世界大戦、朝鮮戦争、湾岸戦争において活躍したこの戦艦は、1992年に退役し、1998年から真珠湾で保存されている。この戦艦の観光客への「売り」は3つある。1、第二次世界大戦終盤の1945年、沖縄海戦にて 日本軍の神風特攻隊の激突を受けたこと。 2、同年9月2日、この戦艦ミズーリのデッキ上で 降伏文書の調印が行われたこと。 3、湾岸戦争の際に使用されたトマホーク・ミサイルを見ることが出来ること、である。実際に、この戦艦ミズーリを運営する民間団体「戦艦ミズーリ保存会」は、隣接するアリゾナ記念館とともに「太平洋戦争の開始、終結の2つの象徴を真珠湾で一度に見ることができる」とPRしている。

 さて、戦艦ミズーリへは、対イラク攻撃が始まった2日後に見学に行ったのだが、真珠湾は米国を代表する主要な軍港であるにも関わらず、警戒態勢は思ったよりも厳重ではなく、むしろ手薄な感じすらした。

 実際に戦艦に上がり、船首から見ていく。船首に立つと、目の前に6門の16インチ砲が見え、堂々とした様子である。しかし、これだけ大きな16インチ砲であるのに、射程距離は37キロにすぎないそうだ。それに比べると、湾岸戦争で使用されたトマホーク・ミサイルは、射程距離1600キロというから驚異的である。湾岸戦争の折には、この戦艦ミズーリから合計28発のトマホーク・ミサイルが発射されたという。今回のイラク攻撃では、攻撃初日で既に40発発射されたというから、湾岸戦争全体でこのミズーリから発射された本数を既に上回っている。(湾岸戦争全体では282発。)



 そのトマホーク・ミサイルも実際に見てみた。思ったよりも大分コンパクトである。巨大な16インチ砲を見た後だと、尚更そのコンパクトさに驚く。ミサイルの全長は約6mだという。写真のように、ミサイル発射管は、大きな長方形をしているのだが、使用される際には、下の絵のように45度に持ち上がり発射される。大掛りな16インチ砲と違い、このトマホーク・ミサイルなら、大きな戦艦でなくても、潜水艦や、小型の巡洋艦、駆逐艦でも搭載ができる。戦争の形は、それにより抜本的に変わる。事実、今回の対イラク攻撃では、トマホーク・ミサイルの使用が、湾岸戦争時の282発から、700発以上と大幅に増えた。


(左)後ろから見たトマホーク・(右)実際に使用される際の様子

 艦内も見学をした。狭い居住空間であった潜水艦ボウフィン号と違い、全長270m、全幅33mの戦艦ミズーリの中は、さすがに広々としている。士官室や、ラウンジ、調理室を抜けたところには広々とした食堂があり、まるでちょっとしたファースト・フード・レストランのようでもある。そして、自分の常識では信じられなかったのだが、その乗員の食堂を利用して、スナック・ショップが営業していた。確かに、大きな戦艦を歩いて見学していると、博物館や美術館を見学した時のように、ちょっと疲れて休憩したくはなる。しかし、自分はこの戦艦を、戦争の史跡と思い見学していたので、違和感を覚えたのだ。もし、広島の原爆ドームや、沖縄のひめゆりの塔の壕の内部に、のん気にスナック・ショップが営業していたら、場違いも良いところだろう。

 何人かの白人が、そこで買ったアイスクリームを食べながら、食堂の一角に置かれたTVを見ていた。TVでは、空爆されるイラクの様子が流れている。先回の湾岸戦争の際に、最初のトマホーク・ミサイルを発射した戦艦で、アイスクリームを食べながら、のん気にTVでイラク攻撃の様子を見る。たかだか10年前の戦争では、この同じ場所も大分緊張感が走っていたはずだ。その様子を見ながら感じるのは、違和感と勝者の余裕だ。この国が戦争をしているはずなのに、イラクの人々と違い、この国本土では誰も傷つくことはない。それどころか、こうやって戦争を全く意識しないで暮らすことが出来るのだ。

 そんな所に居ながら、「自衛のための予防戦争」などと言って、遠くの地域の人々を殺すのはもうやめてほしい。少し想像力が欠如し過ぎているではないのだろうか、と感じてしまった。