事実は小説よりも樹なり・ハワイ編19
真珠湾・アリゾナ記念館 (2003'03'03)




水没した戦艦をまたぐ形で建てられている
アリゾナ記念館

 真珠湾へ行って来た。 先週も書いたが、真珠湾(パール・ハーバー)とは、現在も米海軍により使用されている湾そのものの名前である。

 その湾内に、1941年12月7日(日本時間同8日)の旧日本軍による真珠湾攻撃によって沈没した戦艦アリゾナの記念館をはじめ、米海軍で使用された戦艦ミズーリ、潜水艦バウフィンといった記念館が開館しており、見学者が「真珠湾へ行く」と言った際には、通常これらのことを指す。

 今回話すのは、戦艦アリゾナの記念館について。真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナは、命を失った1,177人の船員と共に、今も引き上げられないまま残されている。戦後1962年に、その沈没した戦艦アリゾナをまたぐ形で記念館が建てられ、見学者は約20分のドキュメンタリー映画を観たあとに、専用のシャトル・ボートでこの記念館へと向かう。真珠湾に到着してまず見える景色は、ここで約60年前に惨劇が起こったことなど信じられないほど穏やかで美しい。

 米国にとって、真珠湾攻撃そのものは二度と繰り返されたいものではないだろうが、戦争そのものに関しては、否定する気はないのであろう。現に今まさに、戦争に突入しようとしている所なのであるから。その点、日本の広島や長崎、沖縄の平和祈念館において、その凄惨な被害は単に米国によるものにとどまらず、戦争そのものによりもたらされたという考えから、戦争それ自体を否定するメッセージ性を打ち出しているのと大きな差異をなしている。恐らくその為であろうか、ここ真珠湾・アリゾナ記念館では、被害を伝える映像や写真、再現されたジオラマや人形といったものが、広島や長崎のそれと比べると少ない。ドキュメンタリー映画の中やパンフレットに、煙にまみれる戦艦や、火を噴く戦闘機といった写真は出てくるが、全身焼きただれていたり、脳漿がほとばしるような死体の映像や写真といったものは絶対に出てこない。そういったリアルな表現を避け、戦争モノのハリウッド映画のような映像を使うことで、戦争そのものへの嫌悪感が起こるのを抑えようとしているのではないか。

 ここで真珠湾攻撃での損失比較をすると、死者米国側2,338(うち民間人48)に対し、日本側は64。船舶が、米国側沈没12、損傷9に対し、日本は5隻。但し、これはぼく自身、訪れるまで知らなかったことであるのだが、米国側の船舶損失21のうち、そのほとんどはその後修理され戦列に復帰しており、実際に真珠湾攻撃で失ったのは戦艦アリゾナを含む3隻だけなのである。戦列復帰した船の多くは、その後沖縄戦などで活躍する。日本側の成果としては他に、米国航空機を164機を大破、159機を中破又は小破しているが、米国はこの時空母を別の場所に移動させており、それらは戦火を免れた。それが翌1942年のミッドウェー海戦での米国勝利につながっていく訳である。

 真珠湾攻撃の際の米国側死者数2,338人という数字も、自分にとっては意外であった。もちろん、莫大な数の死者であることは間違いないが、この数字は、先の9・11の際の犠牲者3,025人よりも少なく、また沖縄戦の時の戦死者数、沖縄244,136、米国12,520と比べても桁が2つも違う。

 また湾内に停泊していた病院船ソレースには、日本軍も爆撃をしなかったことは、東京への、もしくは広島・長崎を含む多くの大都市圏への民間人を狙った空襲とは性質を異なるものと言える。

 つまり、真珠湾攻撃とは、1、米海軍の軍力を壊滅させる目的で攻撃されたもの、にもかかわらず、2、その成果は、客観的に考えると、米海軍の軍力削減に成功したとは必ずしもいえない、と言うことが出来るのではないだろうか。これに対し米国側は、1、不当な奇襲攻撃であると「リメンバー・パール・ハーバー」と世論を喚起。2、その結果、「真珠湾攻撃」対「東京大空襲」もしくは「広島・長崎」を同列のように扱い、内実「東京大空襲」や「広島・長崎」では、民間人を主にターゲットに桁が2つ違うだけの人を殺している。(広島も東京も死者10万人以上)

 誤解してもらいたくないので、ここで強調するが、自分は旧日本軍による真珠湾攻撃を擁護しているわけでは全くないし、単純に犠牲者の数だけで凄惨さを比較出来るとも全く思っていない。また、南京大虐殺をはじめとする旧日本軍によるアジア地域での莫大な数の民間人への虐殺も忘れてはならない。

 では、なぜこのような話を持ち出したのか?今まで、9・11と真珠湾攻撃を対比する人に対し、そんな浅はかな比較はやめてくれとずっと思っていたのにもかかわらず、どうも現在のポスト9・11の状況が、ポスト真珠湾攻撃の米国社会の感じと似ているように思えてならないと感じたからだ。自国の犠牲者ばかりが取り沙汰され、その報復のため、その予防のため、正義と民主主義を守るため、全ての攻撃は正当化されていく。それにより、真珠湾攻撃を遥かに上回る民間人の犠牲者が日本で出ても、それが「リメンバー・パール・ハーバー」の当然の結果だと思われていた。翻って9・11後の世界はどうだ?米国は変わっていない。アフガンでいくら人が死のうと、イラクでどれだけ民間人が巻き添えになるだろうとしても、それは正義と民主主義を守るため仕方がないことなのだ。アリゾナ記念館が反戦色を出さない所以である。

 戦艦と共に真珠湾へと沈んだ船員たちの亡骸がいまもそのまま眠る船体のメイン・マストには、毎日米国旗が掲揚されている。記念館の上、一際高くそびえ立つ米国旗が、世界の人々に本来の自由の象徴として捉えられることを願っている。