事実は小説よりも樹なり・ハワイ編35
ハワイでニホン 2 (2003'06'25)




立派な建物ですねえ。でも、実はこれ、○○なんです。
ヒントは、建物中央部のマーク。

 ハワイでは、様々なところで、「日本」を感じる。一度でも訪れたことのある人なら分かるだろう。いかに日本人観光客が多くて、いかに日本語の通じる土産物屋や日本料理店が沢山あるかが。日本語の新聞も発行されており、日本のTVやラジオも、普通のチャンネルとして存在する。いわばハワイは、「日本語の新聞を読み、日本語のTVを見て、日本語のラジオを聞き、日本食を食べ、日本人の友達と、日本語で会話する」といったことが、普通に出来る場所なのだ。

 ハワイにいる日本人は、大きく分けて3種に分けられる。戦前、農場労働者としてハワイに渡ってきた日系移民の子孫。戦後に、主に観光業に従事するため移民してきた「新1世」。そして、観光者のような一時滞在者だ。日本語の通じる土産物屋は観光者を、新聞やTV・ラジオといった情報メディアは新1世をターゲットにしている。日本料理屋は、その両方だ。

 では、戦前ハワイに渡ってきた日系移民たちが、ハワイに持ち込んだ「日本」は何だったのか?もちろん新聞や日本料理店、雑貨店も存在したが、彼らの精神的支柱になったものがある。寺社などの宗教施設だ。ハワイに寺社があると聞いた時には、南国のビーチや椰子の木といったイメージからは結びつかず、非常にびっくりしてしまった。まさか、ハワイにお寺や神社があるなんて!といった感じだ。今回は、そのうちの幾つかを紹介したい。

 1.ハワイ出雲大社

 ハワイにある出雲大社である。場所はチャイナ・タウンのはずれ。 元旦に初詣に行ったところだ。 歴史は古く、1906年までさかのぼるという。日米開戦中は、宮司家族は収容所に入れられ、神社も没収されるなど苦難を味わったそうだが、それを乗り越え現在にいたっている。元旦に訪れた際には、多くの参拝客でにぎわっており、正月の三が日だけで、一万人は参拝に訪れるという。

 2.マキキの教会

 ハワイに、寺社があるだけでも驚きであるのに、こちらは天守閣である。場所は、有名なアラモアナ・ショッピング・センターから歩いて10分ほどのところ。日本でも、たまに自宅として天守閣を建てる人はいるが、ハワイで天守閣を目にするとは思わなかった。しかも、更に驚くべきことに、これは教会なのである。戦前から、周辺のマキキ地区には多くの日本人が住んでおり、教会の天守閣は1932年に建設された。高知城の天守閣を模して作られたというが、しかし何故、教会が天守閣なのだろう?この天守閣について書かれた新聞記事があるので引用させていただく。
 「安土桃山時代の文献に、『天守閣』という言葉はない。当時は、ただ『天主』と表記されていた。それが、『天守閣』へかえられたのは、江戸時代になってからである。そして、信長の生きていた時代には、キリスト教も『天主教』と称されていた。(中略)信長は、「天主教」の神をまつるために『天主』をたてたのだ。」(井上章一、毎日新聞2002年7月22日)
 そんな経緯があったとは知らなかった。しかし、眉唾のような気もする。そう思っていたら、記事は以下のように続いていた。
 「この歴史認識は、明治も末頃になると否定されていく。(中略)しかし、明治中期にハワイへわたった伝道師たちは、旧説を信じていた。天守閣風の教会をつくったのも、そのためである。」
 なるほど。最初は違和感も覚えたが、地元の人にとっては、なじみ深い建物であるのだろう。ハワイでみる天守閣も、中々良いものである。

 3.ハワイ真言宗別院

 同じく、アラモアナ・ショッピング・センターの近くにあるのが、このハワイ真言宗別院。真言宗ということで、正面に立っている銅像は、弘法大師だと思われる。ハワイには他にも、本派本願寺、東本願寺、曹洞宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、などの仏教の寺院がそれぞれ複数あり、全部で100近い数の寺院が存在するようだ。

 

   4.石鎚神社

 一方、神社はハワイには6つだけのようだ。そのうち4つがオアフ島に存在しており、こちらはハワイ石鎚神社。場所はキング通りで、ハワイ大学からも割と近い。

 

 5.平等院

 そして、最後に平等院。そう、あの平等院だ。場所は、ホノルルからは離れたカネオヘの近く。宇治の平等院のレプリカで、1968年に建てられた。なぜ1968年であったか?ハワイの日系移民の歴史は、明治元年(1868年)にやってきた「元年もの」とも呼ばれる149人の日本人移民と共にはじまる。日系人は戦前の過酷な労働状況、日米開戦下の苦難をばねにして、戦後にようやく確固たる社会的地位を手に入れる。そんな日系人移民の移民100年を記念して作られたために、1968年に建設されたのだ。平等院ではあるが、超宗派の事業であったため、堂の内部に入ると、上記したような各宗派の紋が飾られていた。中には、キリスト教の紋まで飾られているのが興味深い。見学に訪れると、住職さんが話かけてくる。話しずきの住職さんで、話は彼の人生に及ぶ。学生時代住んでいた寮の部屋のルームメートが、あのタゴールの孫だったそうで、英語は彼から教わったと話してくれた。きっと、今日も見学に訪れた人と、楽しそうにお喋りしているのであろう。