ワイキキにある陸軍博物館。
手前が米軍使用の、奥が日本軍使用の戦車。
ワイキキにある、アメリカ陸軍博物館(U.S. Army Museum Hawaii)へ行ってきた。ここは、真珠湾の防衛を目的として1911年に建設された
ランドルフ砲台
があった建物を博物館として転用したものだ。コンクリートや鉄骨がむき出しになった窮屈な作りの内部を歩いて、それを実感した。以前行った、沖縄の旧海軍司令壕を彷彿させる。
内部の展示は、ハワイ王朝時代の戦争から、米西戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦へと進む。第2時世界大戦の展示は、さすがハワイだけあって、
真珠湾攻撃
や日本軍関係の展示が多い。戦時中アメリカ軍が使用した兵器と、日本軍のそれを比較展示したコーナーで、兵器や日の丸の寄せ書きの他に、徳利と盃を発見。何の意味があるんだろうと見ていたら、特攻隊が出撃前に最後の盃を交わすためのもので、細かく模様も描かれていた。また
日系2世部隊442部隊の展示も多くあった。
日本だったら、戦争の展示はここで終わるのが常だが、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争と展示は続いていく。ベトナム戦争の展示で、兵隊相手のバーを模倣したコーナーがあり、ビートルズが流れる中、酒や瓶やコーラの缶がならんでいた。次の展示に移ると、「これは、実際にベトコンが使用したものである」の注意書きと共に、そのコーラの缶を使って作った手榴弾が展示されていた。
思わずゾッとした。敗戦直後に当時の文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」に、軍艦や飛行機を大きな炉で溶かし、鉄道やトラックへと変えている「平和への転換(コンバージョン)」の思想を表したイラストが描かれているが、その思想を180度逆に行くものだなと、そう思った。
1階の展示から、2階の
戦没者の名誉を称えるコーナー
へと上がると、多くの勲章と共に、442部隊の日系人兵士の顔写真が多数展示されており、それぞれイタリアやフランス、コリアといったところで命を落としていた。
屋上へ上がると、1960年頃ベトナム戦争時に作られ、その後も20年ほどPKOで活躍したという
ヘリコプター
と、かつての防衛のための大砲が、ビーチに向かって設置されていた。大砲の向かうすぐ下には、人がゴザをしいて日光浴をしている。
大砲の銃身を覗きこんだら、弾丸の変わりに2、3個のテニスボールが平和そうに転がっていた。現在紛争さなかの弾丸が飛びかう地域も、いつかこんな風に全部なればいいと思った。
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