事実は小説よりも樹なり・ハワイ編11
総括・2002年!
(2003'01'06)
明けましておめでとうございます。 ワイキキ・ビーチの夕焼けです。 親友のニョーリーの卒業旅行として、彼とキク、イッチ、自分の男4人で行った、日本有人最南端である波照間島(はてるまじま)。3月にしてビーチで泳ぐことが出来、夜には南十字星が見えるという。そして何より、泊まった民宿「いしの荘」の石野さんとの出会い。ダイビングと釣りとジンをこよなく愛する、正に「海人(うみんちゅ)」そのものの石野さん。ぼくらはすっかり魅了されてしまい、尊敬の念を込めて「ボス」と呼ばせてもらっている。また波照間行きますぜ、ボス。 2、バリ島への旅行(4月) 普段、旅と言えば安宿を転々とするような貧乏旅行ばかりなのだが、このバリ島への旅行ではゴージャスにリゾートホテルに10日間ほど滞在した。朝はゆっくりと起き、たっぷりとブランチを食べた後、ビール片手にホテルのプライベート・ビーチでごろり。夜にはクタという繁華街へタクシーで乗り付け、美味しいレストランで舌鼓。満月の下、テラスの席で飲む生ビールは最高だった。そんな最高の休日を過ごした所で、5ヶ月後に爆弾テロが起こるとは、この時は想像も出来ず。 3、バイト先「ガネ−シャ」を退店(7月) 大学1年の12月から、オープニング・スタッフとして2年間半働いたバイト先のレストラン「ガネ−シャ」を退店。自分の生活時間の多くをここで過ごしていて、9・11のテロも新大久保の人身事故も、最初に知ったのは、この「ガネ−シャ」の蒸し暑いパントリーのラジオからだった。最後にバイト仲間が餞別にバスローブを送ってくれたのだが、いつも発注ミスする友達が買ってきたため、やっぱり間違えて婦人用のサイズだったのには苦笑。 4、奈良へ旅行(8月) 一緒に波照間島へ行った親友ニョーリーは奈良へと赴任したのだが、ハワイ出発前にどうしても彼に会いたくて、その時と同じメンツのキク、イッチ、自分で遊びに行った。大阪・通天閣で二度付け禁止の串カツを肴に昼から飲んだ生ビールは最高だったし、入道雲の下、甲子園で見た高校野球は、この夏1番の思い出となった。何より、新入社員にも関わらず、気前よく奢ってくれたニョーリーの男気に感動! 5、ハワイへ出発(8月) そして、とうとう8月18日。ハワイへ1年間の交換留学へ出発。最後まで何か忘れ物があるようで不安だったが、逆にこれからの生活に対しては、自分でも驚くほど不安や緊張がない。まるで、旅行にでも行くぐらいのあっさりした気持ちだったのを覚えている。同じ早稲田からの交換留学生リョータと一緒だったのだが、たかだか6時間ほどのフライト。飛行機もあっさり離陸し、あっという間に、あっさり到着した。 6、ワイキキビーチで、初サーフィン(9月) ハワイへ行ったらサーフィン、ハワイへ行ったらサーフィン、とずっと思っていたものの、ボードもなく、やり方も分からず、どうしたものだろうとしばらくは迷っていた。まあ考える前に、とりあえずはやってしまえ、とワイキキビーチでボードをレンタルして挑戦。以前千葉の海で何回か友達にやらせてもらった経験があったため、2回目に挑戦した際に、初めてボードの上に立って波に乗ること成功。海の上からのワイキキの街並みの眺めは最高で、ああ、これを今までずっと夢見てきたんだ、と思ったら何とも言えない気持ちになった。 7、家族のハワイ旅行(11月) 成田で、父と母に見送ってもらったときには、1年間の別れと思って旅立ったのだが、その父、母に姉と、家族全員が11月にはハワイへ遊びに来た。家族4人で泊りがけで旅行するのは、恐らく10年以上振り。ましてや海外旅行など初。皆、ハワイの気候に自然にと楽しんでいたようであった。自分がハワイに留学していなかったら、こうやって家族4人で海外旅行など、ありえなかったかもしれない。10年以上ぶりに家族と四六時中一緒にいる時間を過ごし、いつの間にか、大人になった自分を感じた。 8、早稲田の友達が遊びに来る(12月) 2000年の夏に、早稲田のプログラムでオレゴン州へ短期留学した際に一緒だった友達2人がホノルル・マラソン参加も兼ねて遊びに来た。一緒に、ハワイ大学で行われた英語での狂言の公演に行ったり、ビーチでウクレレ弾いたり、日本で約束していて行けなかった焼肉を食べたりして一緒に遊ぶ。「ハワイに来て何が一番楽しかった?」と聞かれて、思わず言葉に詰まる。・・・うーん、何だろう?その言葉がきっかけで、このように総括してみようと思うようになったのだが、やはり、サーフィンで最初に立てたときだと思うよ、つっつん、つばっちゃん。 9、ホノルル・マラソン完走(12月) 6時間23分47秒。 永遠走った後に行った、回転寿司屋「元気寿司」のスパイシー・ツナ・ロールはむちゃくちゃ美味しかった。一緒にマラソン完走したヨーコさんは、そのまま午後にはフラ・ダンスの発表会もやり遂げていて、その行動力・バイタリティーには脱帽。 10、サプライズ・パーティーで迎えた誕生日(12月) 冬休みに入って、寮のカフェテリアも閉まり、そのため毎晩夜になると、いつも友達と集まって夕食を作ったり、食べに行ったりしていた。その日も、リョータから電話があり、とりあえず、いつもの溜まり場であるユージのアパートへ行くことに。すると、あれ?リョータとユージの他に、こずぱららにサキコちゃん、ジェシカにエミリーに、と皆んないる。え?どういうこと?と思うと、リョータが一言。「今日は、君の誕生日パーティーなんだよ」と。誕生日パーティーだなんて、それこそ小学校低学年のとき以来で、大分動揺してしまったけど、嬉しかったです。好物のタコライスや、日本の暖かい味のするうどんも作ってもらっていて、23歳にしてつくづく生きていて良かったなと思った夜でした。なんてね。 そんなこんなの2002年でしたが、皆様、今年もどうぞよろしくおねがい致します。 |