これが、42.195キロを共にしたゼッケン。
マジックの線が何を意味しているかは、本文にて。
ホノルル・マラソン前日の、12月7日(土)。ゴール地点である、カピオラニ公園にレース後の着替えを預けに行った。夕暮れ時の公園は、もう全て準備が整えられていて、ゴールのゲートが静かに明日を待っていた。「Congratulation!(おめでとう!)」と大きく書かれている横断幕を見て、自分は果たしてここまで辿り着けるのか、辿り着けたとして、その時どんな気持ちでいるのだろうか、そう思った。
レース当日、午前3時半。ハワイとはいえ、この時間は結構寒い。しかし、スタート地点のアラモアナ公園は、既に多くの人でごった返しており、その熱気で、もはや寒さは感じなかった。その人込みの中で、開始を待つ。
午前5時。スタートを告げる花火が大空に舞った。綺麗だった。何発も大きく上がる花火を見ながら、つくづく良いところに留学したと思った。参加者が多いため、スタート地点を7分ほど遅れて通過。この時、靴に付けたチップで、正確に時間が記録される。とうとう始まったという感じがした。とにかく人が多い。通勤ラッシュの新宿駅と言っても過言ではないほど。ゆっくりとしたペースで、ウォーム・アップをしているかのように進む。
今回のレース唯一の坂である、ダイアモンド・ヘッドの辺りまで、そのままゆっくりと走り続ける。その辺りで、既に最初の車イスの選手がもう折り返しを終えて戻ってきていた。車イスとはいえ、その速さは尋常ではない。思わず目を見張る。その後16キロ地点のあたりでは下り坂になり、丁度自分の進む方向の真っ直ぐ先に太陽が上がるのが見えた。そういえば、ハワイに来て、日の出を見たのは初めてかもしれない。正にこの時間に、丁度この位置を走っていて、本当良かったと思った。その太陽の方へと、どこまでも人が続いていた。
やがて、7キロほど続く直線のハイ・ウェイに入る。この辺りからは、走っては歩いての繰り返しになった。ハーフの距離を2時間35分37秒で通過。自分が練習していた時には、最高で17キロまでしか走ったことがなかったので、ここからは完全に未知の領域である。一緒に走っていた友達と、とりあえずは、直線のハイ・ウェイの終わりまで、次は30キロ地点まで、と目標を決めて進み続ける。途中、沿道に友達がいるのを発見して、給水所の水分以上の元気を補給する。
35キロを超えた辺りから、コースは住宅街へと入る。沿道では、家の人がまるでピクニックのように、イスを持ち出し観戦をしている。音楽を大音響でかけていてくれる人、スナックや水、中にはビールまでランナーに振舞ってくれる人、そして何よりその人たちの声援をパワーに最後の残り数キロを進む。
復路のダイアモンド・ヘッドでは、夜明け前だった先程と違い、どこまでも続く海が、もう真上に差し掛かった太陽の光でキラキラ輝いているのが見える。この付近で、もう40キロを超えて、残りは2.195キロ。誰もが最後の力を振り絞ることになる。すっかり歩いてしまっていたぼくと友達も、最後の10分だと思い、走り出すことにする。
やがて、ゴール地点の公園が見える。そして、ラスト1キロの表示。最後のゴールへの直線では、スポーツドリンクを持ったボランティアがずっと並んで立っていたが、もはや水分はいらない。あとはゴールへと辿り着くのみ。直線の先にあるゴールは、見た目よりも距離があり、なかなか辿り着かないが、友達は走るのを止めない。自分も走るのを止めない。そして、1人、また1人と追い抜いて、とうとうFINISHを2人で駆け抜けた。
タイムは、6時間23分47秒。ゼッケンに完走者の印である線をマジックでつけられ、貝でできたレイを首にかけてもらった。一緒に完走した友達と、スポーツドリンクで杯を酌み交わす。あの自転車屋で、オーナーから直接申込書をもらい、一緒にやると決意したもの同士。こうして、共にやり遂げることが出来て本当に嬉しかった。
こうして、ぼくの42.195キロは、終わった。
次の日、完走証をもらいに、ゴールの公園へと再度足を運んだ。夕日の差す公園は、既に祭りの後といった感じで、ゲートも既に撤去されていた。完走証を手渡され、余韻に浸りながら来た道を戻る。公園では、既に次の大会に向けてか、何人ものジョギングをしているランナーたちがいた。金色の夕日を浴びながら走る彼らとすれ違いながら、自分も次のレースをまた目指すことにしようと思った。
|