(00'09'28)



 先日、地方に住んでいるため永らく会っていない友達から留守電があった。どうしてもお願いがあると吹き込んでいる。気になって後ほどかけなおしてみたら、その地方都市まで週末に来てほしいと言われた。その人の言うには、最近、狭い世界しか知らない自分を変える為とあるセミナーに通ってトレーニングをしているらしい。ぼくは、絶句した。前に電話で話した時に仕事がつらくてたまらないとは聞いていたが、まさかそんなことになっているとは想像もしなかった。その人曰く、今度の週末に自分の発表があり、トレーニングの一環としてそれに新しい人を2人連れて来なくてはならず、もし連れて来られなかった場合、これまでにかかった数十万の単位のお金も水の泡になってしまうそうである。ちなみに、その新しく参加する人もその週末だけで4万円(!)も払わなくてはいけないらしい。交通費、滞在費はともかく、それもぼく持ちでその人は来いというのだ!
 今までぼくの周りには具体的にはそういう人は存在しなかった。だからでこそ、初めてそんな電話がかかってきて、絶句と共に途方にくれた。その人がぼくに電話したということは、同じ街に住む友達には全て断られたのだろう。ぼくは最初、何を言っても無駄だろうと思い適当にお茶を濁して断った。
 しかし、気になってもう一度電話した。いいから、それをやめろと。
 自分を変えることなんて、そんなとこ通ったって出来やしない。もちろん、それだけどっぷりと浸かっているその人をこっち側に戻すほどの力量は、ぼくには無い。その人は言う。インチキかそうじゃないか一度も見にきたことも無いのになんでわかるの?そう思うのだったら、一度見に来てよと。
 ぼくはそのセミナーがどんなことをやっているか見たことも無いし、だからやっていること自体で批判する気はない。でも、これだけは言える。
 それだけの数十万という大金を取って、金を払わないと自己開発は成し遂げられないと言っている、ただその一点だけで信用しない。
 だから、やめろと。
 そう言って、ぼくは自分から電話を切った。

 これと前後して、とあることで改めて思ったことがある。それは、人の持つ強さには、コンクリートのような強さと柳の木のような強さの二種類があるということだ。コンクリートのような強さも、確固としたものによって成り立っていてもちろん頑丈である。しかし、その硬さゆえに、風が吹いてきたときも真っ向からぶつかって風を受け入れてあげることができない。コンクリートにむかって殴ってきた人の手首を時には怪我させてしまう。
 一方、柳ならば、風が吹いてきてもそのままなびいて受け流してあげ、誰かが殴ってきてもその人をやさしく包んであげることができる。

 ぼくがコンクリートならば、今回のその人はコンクリートに向かって吹いてきた風だろう。ぼくは、当たり前の正論を言ってその風を突っぱねる。もちろんぼくにとってはそれで良い。が、その風は突っぱねられ、どうすればいいのか?どこへ吹いていけばいいのか?柳のように、受け流して風の勢いを消滅させることは出来なかったのか?

 いつだってそうしてしまうぼくは、今回も柳の木にはなれなかった。