まだ、ただいまが言えない (00'08'29)


 アメリカから日本に戻ってきた。
いや、実は一週間以上も前に戻ってきている。しかし、しばらくの間、何だか空っぽのようになっていて何も手につかなかったのだ。何をすべきなのかが見出せなかった。
  もちろん、このホームページの更新であったりとか、バイト、宿題等やらなくてはいけないことがなかった訳ではない。しかし、それらを始めることが出来なかった。

 アメリカの街は道が広い。そして直線である。その道によって街はきれいにマス目のブロックになっている。住所は通りの名前とマス目のブロックであらわされる。少し郊外へ行くと、その大きい道沿いにはやはり、大型の店が並び、人々は車でそういった店へと買い物に行く。それゆえ、完全な車社会となっている。その車サイズの街は広広として、視界が開けているため、空の青さが目に映る。

 日本に帰ってきて、地元の商店街を自転車で通る。道は狭く、自動車がすれ違うときはすれすれであったり、しばしバックしたりしなくてはいけない。その上、多くの自転車が溢れかえっている。周りを見回しても、建て込んでいるため余り空は見えない。

 街中の看板は日本語だ。そこらで飛び交っている言葉も日本語だ。知らない人の立ち話だって理解しようと意識することなく耳に入ってくる。そんな日本に体が急速に馴染んでいくのを実感しつつ、一方、そんな日常の日本に、一日のうちでまったく英語なんか必要ない日本に同化というか、浸透してしまうのが哀しかった。

 いや、実際僕は向こうで35人ほどの同じ早稲田の学生と生活し、そのため、割と日本語漬けとも言える生活を送っていた。きっと、そこまで偉そうなこと言える立場ではない。しかし、あの時間は、あの空間は何かが違っていた。それが、今言ったような街並みというか、空気みたいなものなのかもしれないし、米語という言葉に付随するattitudeの違いなのかもしれない。

 アメリカでの、オレゴンの生活は終わった。僕は、新しい場所へ動き出さなくてはいけない。しかし、あのオレゴンでの日々を思い浮かべれば浮かべるほど、僕は動けなくなっていた。多分、オレゴンでの日々がすごく濃い時間だったから。この日本に戻ってきたものの、まだまだ夏休みで、希釈されてのっぺりとした毎日をどう過ごしていいのか分かりかねていた。

 そして、これを書いている今、だらっとした夏休みに十分適応してきて、そんな気持ちすら自分の中で風化しはじめている自分に一抹の嫌悪も感じる。
 確かに変わるものだけれども、変わらない。そんな風になりたいと思った。