デモクラシーの感覚 (投稿・小野 甲太郎)

これは、小学校からの友達、小野甲太郎君からの投稿です。



 6月24日は雨だった。翌日に衆議院議員選挙の投票日を控え、降りしきる雨の中候補者が最後の演説を繰り広げる駅前から僕はタクシーに乗った。運転手はおばさんだった。天気の話などをするうち、翌日の選挙の話になった。「このままの天気でいくと投票率が低くなって森さんの言うとおり寝てることになっちゃうのかしら。」日曜に友達と日光に行くため不在者投票を済ませてきたという彼女は、今回ばかりはきちんと投票に行かなくちゃ、と思ったそうである。「あなたは?どうするの?投票に行くの?」そう聞かれ、僕は迷わず答えた。「もちろん。」

 小渕首相の死、森首相の就任を経てサミットを目前に控えた今回の選挙は様々な争点を含んだ選挙であった。連立与党の枠組み、景気回復、公共事業と構造改革、今の日本の低迷する経済や不安定な政治状況などに対し21世紀の日本をどうするのか国民の意思が問われる選挙であったといっても良いだろう。それに加え森首相の「神の国」発言をはじめとするその見識を疑うような「失言」の数々がいやがおうにも国民の注目を政治に向けた。「今回ばかりは選挙に行かなくては」と思った人は事前の世論調査などを見ても少なくはなかったようである。

 しかし、僕を含めた選挙権を手にしたばかりの世代にとってはそれ以上に今回の総選挙の意味は大きかった。それまで大人のやることであった、いわば「他人事」の政治に対して自らの意思を反映する機会がやっと訪れたのである。告示が終わり、選挙戦が活発化すると僕の周りでも選挙に関する話題が多く話されるようになった。どの候補者に投票すべきか、どの党に投票すべきか、といった話が何気ない会話の中から話されるようになった。相変わらず大声で叫びつづけるスピーカーやテレビのなどで引きつった笑顔を見せる各党の候補者達を冷めた目で見つつも自分の一票はどう生かすべきか、そう考える「若者」は決して少なくなかった。どの党の政策がどうなっているのか分からないと不満を漏らす人、引っ越した関係で投票用紙が届かなかったと憤る人、「白票を入れる」と政治不信をあらわにする人、いろいろな人がいたが、多くの人が投票に行くことを当たり前だと思っていたのが特徴的である。

 実際の投票率は戦後最低こそ免れたものの史上第2位の低さであった。運転手のおばさんの杞憂は果たして的中してしまったようである。ある世論調査では89%の人が選挙に行くと答えていたのに、この投票率の低さはなんだったのだろうか。大幅な議席減はあったものの結果的に与党3党の獲得議席は過半数を超え、森首相は国会で信任されるに至った。この国の議会制民主主義は選挙権の放棄によって形骸化してしまったのだろうか。果たしてこれから21世紀を迎える日本の民主主義は大丈夫なのだろうか。選挙後、そんな論調が多く聞かれるようになった。

 僕は楽観している。日本の民主主義はまだまだ発展途上なのである。55年前に敗戦を迎え、そこからやっとスタートした民主主義はいまだ日本社会に強く根付いているとは言いがたい。だが、確実に浸透し始めている。そのひとつの例が選挙前に見られた僕の周りの多くの友人たちの関心である。普段から政治に強い関心を抱いているわけではないが、自分達の代理人を選ぶに当たっては慎重に選別作業を行うという姿やそのほとんどが実際に雨の中投票所に足を運んだという現実がそのことを物語っている。我々はとかく無関心な世代であると思われている。確かに'70年代のような政治運動はしないが、決して政治に対してすべてを放棄しているわけではない。むしろ冷静に事を見つめ、行動に移しているのではないか。熱く発散された団塊の世代の政治に対する熱気とは異なった、冷気につつまれた炎のような熱さがそこにはある、と僕は思うのだ。

 それだけではない。今回の選挙結果は決して以前と大して変わらなかったわけではない。徐々に変化を見せているといってよいのではないだろうか。都市部では自民党候補が軒並み議席を落とし代わりに民主党が都市部では小選挙区、比例ともに圧勝した。自民党、民主党のような「デパート」政党ではない自由党や社民党といった「ブティック」政党が議席を伸ばした。保守党、公明党といった与党は大幅に議席を減らし共産党もまた相変わらずの政策しか提示できずに議席を減らしている。民主主義とは永久革命であるという言葉があるが永久に革命しつづける、つまり常に変化していくことが民主主義なのではないだろうか。それには投票する側の変化も必要である。この変化はごく緩やかな変化であることが重要だ。ドラスティックな変化はその反動をよぶが徐々に足場を固めながらすすんでいく変化は結果的に大きな進歩をもたらす。小さな変化、検証、反省、小さな変化、そして繰り返し…民主主義とはそういうものなのではないだろうか。だとしたら今回の投票率の微増も、与党の過半数を獲得しての敗北も、その小さな変化であるとはいえないだろうか。

 大きな変化は起こらなかった。だが、だからといって日本の民主主義は死んだわけではない。僕の周りで見られた政治に対する静かな好奇心には真剣な熱意を感じた。選挙速報をはじめて真剣に、楽しみながら見た、という声も多かった。日頃政治の話などをしない人達のそういう反応を見るにつれ、こうやって民主主義というものが自然と身についていくのではないかと思えた。投票率の低さは確かに悔やまれることである。しかしそのことだけで悲観的になるべきではないのではないだろうか。民主主義とは数字に表れるものだけではないはずである。例えばタクシーで運転手のおばさんと選挙の話をする、友達とお茶を飲みながら自然と日本の政治について語る、そういう情景が日常になるということもまた民主主義なのではないだろうか。