事実は小説よりも樹なり・ハワイ編7
こうして、ぼくは決意をした (2002'12'02)




いつの間にやら、もう12月に入りましたが、
ハワイは相変わらず夏の日のまま。

 今回も、ハワイへ来てまだ1カ月程の頃の話。

   その日は、週末・土曜日だったのだが、昼頃にブランチを取ったあと、一応机に向かったものの、今いちやる気が起こらない。そこで、宿題は夜になってやれば良いやと、午後は外出することにした。仕度をして外に出ると、丁度友達が2人、中古の自転車を買ってきていた。これから鍵を買いに行くところらしい。ちなみに、こちらでは自転車に鍵は付いていない。日本のような小さな鍵を付けていたところで、すぐに壊され盗まれてしまうからだ。その代わりに、皆、太いワイヤーや鉄で出来た大きな鍵で、自転車を柵なんかにくくり付けておく。

 特に大した予定もなかったぼくは、一緒に自転車屋へと付いていくことにした。自転車の他に、トライアスロンの用品も扱っているそのお店は、美味しいレストランが軒を連ねることで有名な、カパフル通りの中程にあった。鍵を見ていると、お店のオーナーから話しかけられた。その初老のひげを蓄えたオーナーは、どうやら日本びいきのようで、日本にも留学したことがあるらしい。

 そして、つい先日も、日本の有名な小説家がこの店に来店したんだと、嬉しそうに話していた。誰かと聞くと、名前ははっきりとは思い出せないが、「Underground(アンダーグラウンド)」という本を書いた小説家だという。それってもしかしてと聞いてみたところ、やはり、その作家とは、そう村上春樹のことだった。確かに考えてみれば、村上春樹はトライアスロン好きだものな、と納得。オーナーは、彼を家に呼んで一緒に食事をしたそうで、羨ましい限りだと思う。

 そんなオーナーから、帰り際、1枚の紙をもらった。ホノルルマラソンの参加申込書。子供の頃、学校で長距離走らされることが何よりも嫌いだったぼくは、マラソンを走るなんて考えもしなかったが、オーナーから申込書をもらって決意した。これも何かの巡り合わせだ。参加しよう、と。

 その日、宿題を続けていたら、友達と出会わなかったら、そしてオーナーが日本びいきでなかったら…。ぼくだって、苦しいマラソンに、わざわざ自分から情報を調べてまで参加しようという気は持ち合わせていない。しかし、今、こうやって仲良くなったオーナーから直接、申込書を手渡されている。これは、つまり、そういう巡り合わせということなんだな。そう思った。

 ホノルルマラソンは、1週間後の12月8日(日)午前5時スタート。そんな訳で、最近は毎晩大学の周りを走っている。42.195キロは、もちろん未知の領域だ。走りきれるか、途中で倒れてしまうかは分からない。何はともあれ、1週間後、その答えは既に出てしまっている。