事実は小説よりも樹なり・ハワイ編43
報告・世界のウチナーンチュ会議 3
「ユース・プログラム」
(2003'09'21)



ウチナーンチュ会議01
第1回世界のウチナーンチュ会議
太鼓の音色と共に開会式が幕開けした

ウチナーンチュ会議02  前回紹介した、「沖縄フェスティバル」に続き、9月1日、2日の両日に渡り、「第1回世界のウチナーンチュ会議」が開催された。ハワイや沖縄のウチナーンチュを初め、世界中のウチナーンチュ、また、ぼくのような沖縄ファンが、会場であるハワイ大学東西文化センターに集う。会議の開会式では、ハワイ沖縄連合会(HUOA)会長の、ジョージ玉城氏や、沖縄県の稲嶺恵一県知事が挨拶を行った。会場となった、「移民センター」という会議場は、実はぼくが住んでいた学生寮から目と鼻の先で、不思議な縁を感じる。マラソンの練習のため、深夜この「移民センター」横をジョギングしていた時には、このような会議の開催など想像することも出来なかった。(写真・開会式で話を聞く人々)

 開会式後は、20あまりの分科会に分かれての進行となる。「観光業」、「貿易」、「国際結婚」、「芸術・文化」といった、ウチナーンチュと切っても切れないテーマばかりだ。ぼくの参加した「ユース・プログラム」も、この数ある分科会の1つで、主に自己のアイデンティティーをどう認識しているか、ということについて話し合いが行われた。

 ぼくと、この「ユース・プログラム」の関わりは、半年ほど前にさかのぼる。当時、ハワイ大学に留学中であった沖縄出身の研究者や学生が中心となって、「オキナワ・セミナー」という勉強会を開いていた。ぼくもそこに顔を出させてもらっていたのだが、「ウチナーンチュ会議」で学生や若者主体の分科会が作られることになった際に、この「オキナワ・セミナー」のメンバーに白羽の矢が立ったのである。

 まず、「何を話し合うか?」。そこから準備は始まった。「オキナワ・セミナー」でハワイの沖縄系3世・4世の話を聞く。沖縄から出て、改めて「ウチナーンチュ」である自分を考える。そういった経験を通じて、トピックは自然に「ウチナーンチュであることって何だろう?」というものに固まっていった。同時に、誰もが話し合いに参加出来るよう、「ウチナーンチュ」と限定するのでなく、広く「自己のアイデンティティーをどうとらえるか」というものに決定された。

ウチナーンチュ会議03  会議当日。ハワイから、沖縄から、日本本土から、そして世界中から約50人の参加者が集まった。意外なことに、ぼくを含め日本本土からの参加の学生が1/3ほどを占める。これは、明治大学や武蔵大学から、ゼミ単位での参加があったためだ。その他、沖縄からの参加がやはり1/3ほど。その他の地域が残り1/3といった感じで、ハワイからの参加者が意外に少ない。これらの参加者が、さらに10人ほどのグループになって、車座になって話し合う。形式ばった会議として肩肘を張って議論するより、リラックスしてお喋りするかのように話し合いましょう、という目的のためだ。(写真・車座での話し合いの様子)

 ぼくも、1つのグループの進行役となって話し合いに加わる。まずそれぞれ自己紹介をしてもらう。すると、沖縄から海外に出て暮らした人、県外から沖縄に移住した人、東京生まれ東京育ちの人、東京以外の出身で上京してきた人、アルゼンチン在住の沖縄2世、などなど、皆様々なバックグラウンド。さっそく、これは興味深いと、それぞれどういった風に自分を自己認識しているのか、どうしてそう感じるようになったかを話し合う。議論を戦わせるというより、それぞれの認識を話し合うことによって共有するといったディスカッションであった。

ウチナーンチュ会議04  興味深かったのは、隣に座っていた、東京からの学生の発言。アイデンティティーには、「人種」や「国籍」といった抗いようのない事実から来る「固定的なアイデンティティー」と、「文化」や「信条」といった内面的な事から成る「流動的なアイデンティティー」があるのではないか?と。例えば、何をもって「ユダヤ人」は、自分を「ユダヤ人」と思うのか?人種的にユダヤ人だからか?イスラエル国籍だからか?それともユダヤ教を信仰しているからか?キリスト教を信仰する、イスラエル国籍のユダヤ人種の人は、自分のアイデンティティーをどうとらえるのか?その答えとして、抗いようのない「固定的」な要素もありつつも、時として「流動的」な要素が、自己のアイデンティティー認識で第一のプライオリィティーになるのではないか?という意見。ふむふむ、なるほど。
(写真・車座での話し合いに先がけて行われた、代表者によるディスカッション)

 結局のところ、今回の話し合いのテーマ「自己のアイデンティティーをどう認識するか?」という問題は、結論が出るような話ではないし、また、誰もが普段から「自分は何物か?」だなんて考えている訳でもない。だから、今回の話し合いで、参加者が自分を見つめる、それはウチナーンチュとしても、ウチナーンチュとしてでなくても、そんな機会になれば上出来だったのではないかと思う。

 夕方までの話し合いを終え、そのままBBQパーティーとなった。ジューシー(沖縄風炊き込み御飯)で出来たおにぎりを、口の周りや服にポロポロこぼしながら、参加者の皆と話す。今回の会議のみを目的に、わざわざ個人的にハワイを訪れてくれた人も何人もいた。進行役の1人として、そういう人たちに、高い旅費を払って来ただけの、参加して良かったと思ってもらえる内容を提供できたのかと自問自答する。元々、結論の出るようなテーマでなかったとはいえ、大いに疑問でもある。

 会議翌日、沖縄の新聞「沖縄タイムス」紙に、 「ユース・プログラム」の記事 が載った。実行委員長である、前原絹子さんの言葉が載っている。絹子さんとは、一緒に琉球國祭り太鼓を練習した仲でもある。
「自己のアイデンティティーを客観的に見ることによって他者と違う部分を認めることの重要性を感じてもらえたと思う。」
そうか。自己と違う他者を認めることも大事であるけど、まずは自分を認めてあげること、肯定してあげることが大切なんだな、と思った。悩むだけでなく、考えるだけでなく、自分を自己肯定してあげること。それが出来なければ、心から他者を肯定してあげることなど、本当はもっと難しいのかもしれない。