沖縄フェスティバルのフード・ブース
一番人気は、「Andagi」ことサーター・アンダギー(沖縄ドーナツ)
8月30日、4日間にわたる「世界のウチナーンチュ会議」の開会式が、ワイキキ・カピオラニ公園で行われた。この公園を会場として、まず2日間にわたって「第21回沖縄フェスティバル」が開催される。このフェスティバルは、ハワイで毎年8月終わりに、沖縄系移民によって行われる恒例のものだ。今年は、「世界のウチナーンチュ会議」の開催につき、同時に行われたという訳だ。
開会式では、ハリス・ホノルル市長や、稲嶺・沖縄県知事の挨拶があり、その後すぐに「琉球國祭り太鼓」のエイサーが披露された。2日間にわたって行われる歌や踊りのトップバッターとしてである。琉球國祭り太鼓については、前回も説明した。沖縄でお盆に行われる「エイサー」と呼ばれる太鼓踊りに、ロック、ポップス音楽や空手の動きも取り入れ、「観せる」ということに、より重点を置いたものだ。ぼくは、留学中にこの琉球國祭り太鼓のハワイ支部に顔を出していたこともあり、今回「旗持ち」としてお手伝いさせてもらうこととなった。メンバーが演舞している後ろで、大きな旗を持って立つという役割だ。
最初、演舞が始まるまで、その旗で見えないようにしていた獅子舞が、ドラの音と共に舞台へと飛び出す。大の男2人によって演じられる獅子は堂々として、時にくるりと転がってみせたりして、愛敬を見せる。すると観客席がどっと湧く。獅子舞が終わると、太鼓の演舞。旗持ちを舞台中央でしていたため、演舞の始終を絶好のポジションで見ることが出来た。琉球國祭り太鼓は、やはり格好良い。旗持ちだというのに、ちょっと見とれてしまった。(写真・旗持ちの様子と登場する獅子舞)
先日、「SPA!」という雑誌のエッセイで、劇作家で演出家の鴻上尚史さんが、沖縄の街を練り歩くエイサーを見たときの感想を書かれていた。お盆の最後の夜、死者の霊を送り出すために整然と並んで太鼓を打ち鳴らすエイサー隊は、いわば鎮魂の歌(レクイエム)を奏でる軍隊である、と。その鎮魂の軍隊が、イラクの焦土を、太鼓を打ち鳴らしながら行進する姿を、無意識のうちに想像していた、と。
ハワイの青空の下、ハワイから、沖縄から、そして米国本土から集まった琉球國祭り太鼓のメンバーが、数十人で一斉に同じタイミングで太鼓を打ち鳴らす。その様子を見ながら、ぼーっと鴻上さんのエッセイを思い出していたところ、突如、獅子舞に腕を噛まれた。昨日、東京にいたというのに、今日、ハワイで「旗持ち」として舞台に立ち、獅子舞に腕を噛まれている。昨年の沖縄フェスティバルでは、まさか1年後、こうして自分がステージに上がって、獅子に腕を噛まれているとは想像も出来なかった。演舞は「ミルクムナリ」と呼ばれる曲で、約10曲の曲目を終える。観客は帰るどころか、もっと観たいというオーラを発しているのが、ステージにいて、分かった。(写真・ポーズを決める子供達)
開会式直後の出番を終え、次は夜の「盆ダンス」が出番となる。「盆ダンス」、つまり盆踊りが、日系人の多いハワイではよく開催される。本来、沖縄にはお盆に盆踊りをする習慣はないが、ハワイの沖縄フェスティバルでは、沖縄の民謡に合わせて太鼓を打ち鳴らしながら踊る。一般の人も、それに合わせて一緒に踊るというのが恒例のようだ。
この盆ダンスでは、「旗持ち」の仕事がなかったので、一般の人に交じって参加する予定だった。が、夜のその時間、どうしても都合がつかなくなったメンバーの代わりに、急遽、太鼓を持って参加することに。ステージとは別に、ダイアモンド・ヘッドの眼下に広がる原っぱが盆ダンスの会場となっていた。衣裳をつけ、太鼓を持って向かった盆ダンスの会場は、開始時間が近づくにつれ、夜の闇へと包まれていった。(写真は昼に撮った盆ダンスの会場。中央がやぐら。)
予定は大幅に遅れ、8時過ぎになってようやく盆ダンスが始まる。輪になって回りながら太鼓を叩いていたら、メンバーの内の1人が、沖縄からのTV局にインタビューされていた。照れるメンバーを見ていたら、何と次にインタビューされてしまった。「あなたは移民何世ですか?」との問いに、「いえ、日本から来ました。」と答える。続いて、「沖縄からですか?」と聞かれたのに対し、「東京です。」と答える時には、あまりにインタビュアーの求める答えから懸け離れてばかりいて、何だか申し訳なく感じてきた。何とか良い受け答えをしてあげようと、「こういった世界中から集まったウチナーンチュのお祭りをどう思いますか?」という問いに、「沖縄の人の組織力・団結力は、本土の人間の自分から見ても、すごいものだと思います。」と感想を述べた。
盆ダンスは、「あしびなー」という曲で盛り上った後、先ほどと同じく「ミルクムナリ」という曲で締めくくりとなった。「あしびなー」は、ぼくが最初に覚えた曲。「ミルクムナリ」は、ハワイから帰る直前に、最後に覚えた曲だ。まさか「旗持ち」の手伝いだけでなく、飛び入りとしてこうやって沖縄フェスティバルで踊れるとは思ってもいなかった。本当に感無量だ。突き詰めれば、ぼくに太鼓を教えてくれた「先生」のおかげだなと思う。さっきインタビューされていた、まだ15歳の高校生の女の子が、ハワイ大学近くの支部の指導員として、ぼくにずっと教えてくれたのだ。
当たり前だが、太鼓は見ているよりもやるほうが楽しいと思いながら、盆ダンス会場から引き上げる。東の空に、ひときわ輝く火星が見える。その火星を見ながら、自分はひときわ贅沢な時間を過ごしているな、と思う。東京では、空はビルによって切り取られてしまっている。それ以上に、夜空を見上げる余裕を失ってしまっている。自分がここまでハワイと沖縄に惹かれる理由。それは、この2つを取り戻すことが出来るから。この夏初めて見た火星は、ハワイの夜空で、これでもかというくらいに赤く黄色く浮かび上がっていた。
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