事実は小説よりも樹なり・ハワイ編41
報告・世界のウチナーンチュ会議 1
「そもそもウチナーンチュ会議って?」
(2003'09'08)



沖縄フェスティバル
再度ハワイへと行ってきました!
「沖縄フェスティバル」の開催を知らせる横断幕

 8月29日から、9月4日まで、再度ハワイへと行ってきた。「第1回世界のウチナーンチュ会議」に出席をするためだ。「ウチナーンチュ」とは、沖縄の言葉で「沖縄の人々」を意味する。分解すれば、「沖縄(ウチナー)+〜ンチュ(〜の人)」となる。

 ハワイには、1900年に第1号のウチナーンチュが移民してきて以来、現在約5万人が暮らしている。他にも、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、アメリカ本土やカナダなどにも移民が暮らしており、全世界あわせると30万人にものぼる。これら世界中のウチナーンチュを集める「ウチナーンチュ大会」なるものが、沖縄県主催により1900年、1995年、2001年の3回に渡って開催された。しかし、開催間隔が5、6年と長すぎるとの声もあり、その間にフェスティバルを設けることとなった。それが、今回の「ウチナーンチュ会議」となった訳である。「大会」と「会議」。似て非なるもので、「大会」が既に3回沖縄で開催されているのに対し、「会議」は今回が初。加えて、開催地も初の海外。このように、初めて尽くしの大会なのである。

ウチナーンチュ会議01
ウチナーンチュ会議開会式で挨拶する、稲嶺恵一沖縄県知事

 具体的には何をしたのか?主に3つの大きなイベントが行われた。1つ目は、ハワイで21年前から続いてきた「沖縄フェスティバル」。ここで、全体の開会式も行われた。2つ目は、ハワイ大学東西文化センターを会場とする「世界のウチナーンチュ会議」。3つ目が、ハワイ大学野球場で開催された、閉会式を兼ねた「エイサー・フェスティバル」だ。

ユース・プログラム01  2つ目の「世界のウチナーンチュ会議」では、経済や環境、文化などの事柄について、10以上の分科会に分かれて会議が行われた。その中で、学生や若者を中心とした「ユース・プログラム」には、企画の段階から参加させてもらった。半年ほど前、この学生や若者中心の会議の構想が出てきた段階で、当時ハワイ大学に在籍していた沖縄出身の学生に白羽の矢が立った。彼らと懇意にしていた関係で、ぼくも参加させてもらったという訳だ。(写真は、ユース・プログラムでの話し合い風景)

 会議では、「ウチナーンチュであることを意識しているか?」という問いをきっかけに、自己のアイデンティティーをどう捉え、認識しているか?といったことについて話し合われた。「ハワイ」で暮らす「ウチナーンチュ」や、「アルゼンチン」で生まれた「ウチナーンチュ」の自己認識は、「日本」に暮らす「日本人」の自己認識とは異なってくるだろう。せっかく、世界中の学生・若者が集まるのだから、それぞれの自己認識を話し合い、より自分や自己のアイデンティティーについて考えてもらおうという訳だ。

 この「ユース・プログラム」の様子は、沖縄タイムスにも掲載された。
 ユース・プログラムの記事  http://www.okinawatimes.co.jp/spe/uchikaigi20030903_1.html
 ウチナーンチュ会議についての記事一覧  http://www.okinawatimes.co.jp/spe/h_index.html

琉球國祭り太鼓01  また、ハワイ留学中、「琉球國祭り太鼓」の練習に顔を出していた関係で、今回の「沖縄フェスティバル」、および「エイサー・フェスティバル」でも、その手伝いとして参加させてもらうことが出来た。「琉球國祭り太鼓」とは、沖縄の「エイサー」と呼ばれるお盆の太鼓踊りを、ロックやポップスの曲も用い、空手の動きも取り込んでアレンジしたものである。(詳しくは、 琉球國祭り太鼓ホームページ )従来の「エイサー」と比べ、より見せるということに重点をおいているので、はっきり言って格好良い。今回の「沖縄フェスティバル」では、旗持ちとして、演舞をすぐ後ろから見ることが出来た。また、「沖縄フェスティバル」の夜に行われた盆踊りでは、欠席メンバーの交代として、急きょ参加までさせてもらえた。(写真・太鼓の旗持ちの様子)

 沖縄に初めて訪れたのは19歳の時。沖縄熱にかかってしまい、東京に戻ってからも、熱は冷めるどころか上がる一方だった。沖縄のことを勉強したくて留学したハワイでは、新たにハワイ熱にも感染。この2つのビョーキは治ることもないようで、どうやら一生付き合っていくことになりそうだ。ハワイで開催される「世界のウチナーンチュ会議」。聞いただけでも、思わず興奮のあまり卒倒してしまいそうになるほどのイベントである。実際、この1週間を経験して、ますます熱を増して帰ってきたような気がする。そんなぼくが体験した「世界のウチナーンチュ会議」の様子を、これから数週間に渡ってレポートします。