事実は小説よりも樹なり・ハワイ編37
ハワイ大学卒業式 (2003'07'09)



ハワイ大学卒業式1
5月に行われた、ハワイ大学卒業式
卒業生入場の様子

 5月の半ばの日曜日、最後の期末試験が終わった数日後、ハワイ大学の卒業式が行われた。米国の大学の卒業式がどんなものか興味があったので、会場である「スタン・シュリフ・センター」へ足を運んでみた。ドーム屋根のこの会場は、普段はバスケット・ボールの試合などが開催されるセンターだ。

 朝9時。会場に入ると、ちょうど卒業生が入場してくるところだった。既に会場は人であふれている。一緒に行った友達曰く、バスケット・ボールの試合の時よりも観客が入っているとのこと。卒業生は、ただ黒いガウンと帽子をかぶっているだけかと思っていたが、皆それぞれ思い思いの飾り付けをしていた。ナース学科の学生は帽子に大きな赤十字を付けていたり、ハワイアン学科はハワイの衣裳をまとっていたりといった感じだ。帽子にカラフルな名前のシールを貼っている学生もいた。また、全員ガウンと帽子を身に付けているものの、ガウンの下の洋服はバラバラなのにも驚いた。日本のように、スーツを着ている学生などほとんど見受けられず、普段とおりの、Tシャツにハーフ・パンツという学生も多い。

ハワイ大学卒業式2  卒業式は、ハワイの卒業式らしく、ハワイアン学科の学生によるoli(歌)から始まった。米国国歌やハワイ州歌よりも先にこのoliが歌われるのは、やはりハワイならではだと思う。その後、軍事教練のコースを取っていた学生達による国旗掲揚。こちらは、米国ならでは、といった感じだ。そして、国歌、州歌、お偉方の話へと続く。その間、卒業生をざっと数えたところ、1000人ちょっと。これだけいたら、まさか一人一人名前を呼んでの卒業証書授与は行われないだろう、と思っていたのだが、そのまさかだった。知り合いの名前が呼ばれると、観客席から歓声があがり、まるで、フット・ボールの試合のようである。以前だったら、その雰囲気に驚いていたと思うが、ハワイに来て10ヶ月経った今は、ああ、いつものノリだなという感じがした。最後の学生への授与が終わった後に、とうとう帽子の房を右から左へと一斉に移す。これで、晴れて卒業候補生から、卒業生へと移る訳だ。いや−、良かった良かった。皆がんばった。と、知り合いがいる訳でもないのに、思わず感慨にふける。

 明るく盛り上がる卒業生達を見ていたら、皆それぞれ4年以上の期間、色々がんばってきたのだろうなと思い、それを自分のハワイ大学での9ヶ月に置き換えたら、何だかしんみりとしてきてしまった。この2日前に期末試験を終え、同時にハワイ大学での学業の全てを終えた。でも、まだまだ何も成し遂げてない、全然何もやってはいないという感じばかりがして、こんな状態で留学を終えてしまって良いのかと思っていた。でも、明るく盛り上がる「成し遂げた」彼らを見ていたら、きっといつか自分にも、素直に良くがんばったと、言ってあげられる時が来るのでは、と思えたからだ。

 いつだったか、TVで日本の電機会社の計算機小型化競争について見たことがあった。もっと小さく、もっと小型にと、日本の中で開発を競いあって無我夢中になっていたところ、ふと気がついたら、世界の研究開発の中で、遥か最先端を走っていたという。まだだ、まだまだだ、と思って普段肩肘を張っていても、いつかそんな日が来たら良いなと夢見たりもする。

ハワイ大学卒業式3  卒業式後は、野球場であるムラカミ・スタジアムに皆移動をした。そこで、家族や友達、知り合いがレイを持って出迎えるのだ。スタジアムの中は人で満杯となっており、卒業生は、首が見えなくなるまでレイをかけられていた。黒いガウンに、幾重にかけられた花のレイの色がくっきりと映える。すっかり夏の日差しとなった5月のハワイに、その鮮やかな色が良く似合っていた。