事実は小説よりも樹なり・ハワイ編32
プランテーション・ビレッジ (2003'06'03)




プランテーション・ビレッジにある
わかみやいなり神社

 今回は、プランテーション・ビレッジについて。

 現在は観光業で栄えるハワイであるが、第二次世界大戦以前の主な産業は製糖業であった。サトウキビ農場(プランテーション)での労働力を確保するため、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国や日本、韓国、ポルトガル、プエルトリコ、フィリピンといったところから多くの移民を労働者として受け入れた。これが、現在でもハワイに多くの日系人が存在し、多様な人種社会を構成している理由なのであるが、その20世紀初頭のプランテーションにおける労働者の生活した建物を再現した屋外博物館が、この「プランテーション・ビレッジ」である。

 大学から、バスに揺られて約1時間半。オアフ島の中心に近いプランテーション・ビレッジに着いたところ、ちょうどガイドによるツアーが行われる時であった。ガイドしてくれたのは、ワタナベさんというおじいさん。先述した日本人移民の2世の方で、日本語と英語を混ぜて案内をしてくれた。

 屋外博物館である、「プランテーション・ビレッジ」。まずは、タイム・トンネルを抜ける。そこを抜けると、そこはもう1900年代初めの世界となるわけだ。




 

 中国人会議所やポルトガル人の家から見学していく。白人であるポルトガル人は、アジア人移民の上にたって「ルナ」と呼ばれる現場監督をしていたらしい。トイレもあったのだが、何故か2つ並んで作られている。これは、夜に子供がお母さんと一緒に行けるようにとのことだそうだ。


 さて、日本人の家と入ると、床にはゴザが敷かれ、卓袱台に座布団、仏壇などが並べられている。家の周りには、ほかに長屋や豆腐屋、風呂屋、神社などの建物も再現されている。神社は「わかみやいなり神社」というのだが、この神社だけは再現ではなく、元々ダウンタウンにあったものを、こちらに移してきたらしい。ただ、残念なことに、稲荷神社であるにも関わらず、台座のうえのお稲荷様が左右ともに盗まれてしまっていた。また、日本人の家とは別に、沖縄県人の家も再現されていた。家へと入るドアの上にはシーサーが飾られ、中には、紅型という沖縄の伝統衣装を着た人形や、三線(沖縄の三味線)などが飾られていた。



 沖縄県人の家を見た後、韓国人の家、フィリピン人の家と見学していき、最後によろず屋と診療所を見る。当時、医療は無料で受けられたらしいが、その分質の悪い医者が来たらしい。これらの建物の他にも、日本人移民が相撲を取った土俵や、原住民の家などの建物もあり、それらをガイドのワタナベさんが丁寧に説明してくれたおかげで、2時間ほどのツアーだったのだが、予想以上に充実したツアーで大満足であった。