事実は小説よりも樹なり・ハワイ編31
ハワイで見つけた沖縄のこと (2003'05'29)




ハワイ沖縄センターの庭園で見つけたパネル
ハワイと沖縄の類似点を紹介している

 先週末、とうとう日本へと帰ってきた。成田空港のゲートをでると、空気は少しひんやりしていた。帰国から5日ほどたつが、友達に会ったり、各方面へ報告に行ったり、大学のゼミに挨拶がてら出席をしたりと、毎日何かしら予定が入っている。そうだ、すっかり忘れていたが、日本での生活は忙しいものなのだ。そんな訳で、帰国数日にして、すっかり日本での生活に馴染んでしまっている。

 そうした中、色んな方々に会うたびに聞かれるのが、「ハワイ、どうだった?」という質問だ。これには、いつも反射的に「最高だったよ!」と答えている。具体的に、何が最高だったのか?ハワイで感じたこと、影響を受けたことは、大きく分けると3つある。1、授業や大学生活から感じたこと。2、ハワイの気候や文化、生活スタイルから感じたこと。そして、3、オキナワ・セミナーや琉球國祭り太鼓といった沖縄に関することとの交流から感じたこと、の3つである。これらそれぞれから、多くの影響を受け、それらを総合して「最高だった!」という訳だ。

 このページで、既にこれら3つのことについては報告しているが、3つ目の「沖縄に関すること」について、今回もう少し述べようと思う。

 そもそも、ハワイには沖縄基地問題、日米安保条約を勉強しようと思って留学をしたのであるが、昨年8月の後半に留学をした直後、さっそく沖縄と出会うことになる。ワイキキのカピオラニ・パークで9月の最初に行われた「沖縄フェスティバル」だ。ハワイに住む沖縄出身の移民たちの子孫、また戦後ハワイに移民してきた新移民によるこのフェスティバルは、昨年で20回目を迎えていた。もともと、戦後、ハワイに住む沖縄系3世達が沖縄を訪れ、その文化を目の当たりにし、何とかハワイでも自分達の祖先の文化を伝えていかなくてはいけないと思って開催を始めたものだ。以降毎年開催されている。フェスティバルは2日に渡って行われ、会場では歌や踊り等の沖縄芸能の披露や、沖縄の食べ物の出店、沖縄県産品の販売などが行われていた。ハワイの空の下で聞く、三線(沖縄の三味線)の音色は格別だった。

 さて、この「沖縄フェスティバル」は、「The Hawaii United Okinawa Association (HUOA)」という団体の主催によるものだが、このHUOAは、独自に「ハワイ沖縄センター」という、レセプションホールや庭園、資料室等から成る建物を備えている。以前このページで「日本文化センター・ハワイ」を紹介したが、沖縄はそれとは別に独自のセンターも持っているという訳だ。日本の県の中で、その県独自のセンターを持っているのは、ぼくが知る限りこの「ハワイ沖縄センター」だけである。

 年が明けた、今年2月のこと。前回紹介した「オキナワ・セミナー」のメンバーを通じて、あるレセプション(歓迎会)のお誘いをいただいた。沖縄のある有名なミュージシャンがハワイに滞在中で、彼らのためにレセプションが開催されるので出席しないか?というものだった。そのミュージシャンのことはぼくも良く知っていたので、喜んで出席させていただいたのだが、まさかハワイでそんな機会に恵まれるとは思ってもみなかった。また、そのレセプションの席では、「琉球國祭り太鼓」ハワイ支部の太鼓も披露されていた。その格好良さに魅了され、その日の内に2次会の席で支部長の方にお願いをして、練習に参加することになった訳である。

 3月中旬にはホノルル・フェスティバルというものもあった。「ホノルル・フェスティバル」という名前ではあるが、内容は日本の芸能や文化などをホノルルで紹介するというものである。ワイキキのカラカウア大通りではパレードが行われ、沖縄系移民の方々によるエイサー等も披露されていた。

 そして、その数日後、対イラク攻撃が始まる。一日平均5000人訪れるという日本人観光客は、一気に2000人程度にまで減り、ハワイの観光業は危機的状況になった。これに追い討ちをかけるように、SARSが大きな問題となってくる。また、アルカイーダが真珠湾を自爆テロの攻撃先として計画していた、という報道もこの頃伝えられた。日本人観光客がめっきり減ったワイキキを歩きながら、観光業を主な産業とするハワイにとって、経済の要は何よりも「平和」であると改めて実感した。同じことは沖縄にも言える。

 さて、留学を終えた結果、今どうなっているか?
 沖縄基地問題については、もともと大学の卒業論文でも扱うつもりでいた。その中で、何らかの基地の整理・縮小プロセスと提示したいと考えている。今回ハワイへ留学をすることで、改めて感じたのは、沖縄の人々のネットワーク力・団結力の強さと、「平和」の重要性、である。前者は沖縄の持つ強みである。これを何とかして、整理・縮小のプロセスに活かせないだろうか?そして、後者はそのプロセスにおいて、前提として不可欠なものだ。「平和」は沖縄・東アジア地域のみの平和を意味しない。事実、中東での戦争がそのままダイレクトにハワイ、沖縄へと影響した訳である。留学を通じて感じたこれら2つのキーワードから、これから基地の整理・縮小のプロセスを提示していきたい。