事実は小説よりも樹なり・ハワイ編3
今回は勉強の話 (2002'11'04)




現在は大学の寮の7階にに住んでいるのですが、
部屋からのワイキキのビル群の夕焼けは、なかなかに絶景です。

 11月である。おい、ハワイからホームページを更新するのが夢でした、とか書いておいて、とうとう10月は丸々更新してねーじゃねーか!このアンポンタン!・・・というような声が聞こえてきそうなので、一応弁解させてもらうと、ハワイは今だもって夏なので、時間が経つのが感じにくいのである。

 加えて、平日は授業の準備や宿題で忙しくしているため、中々時間が取れないのである。え?週末?甘いね。週末は遊びまくっているので、平日以上に忙しかったりして、ホームページの更新どころじゃないのであーる。え?余計に性質が悪いじゃねーか、このドテカボチャ!・・・そうそう、カボチャといえば、10月末のハロウィンではカボチャをくりぬいてランタンを作りました。寮でコンテストがあって、出展したら何と2位!よくがんばりました。え?そんなことやってる暇あったら勉強しろって?仰るとおりです。

 と、いう訳で、今回は勉強の話。今学期は英語の授業を3種類に、普通の授業を1種類、受講しているところである。早稲田では授業によっては大教室で100人以上の学生を前に(正確には100人以上の受講者のうち、真面目に出席している何分かの1の学生を前に)教授が一方的に話をするというようなものも多かった。これは、日本では何も早稲田に限った話ではないだろう。

 ここハワイ大学でも、1年生や2年生向けの入門のクラスは、同じような感じのようである。かなり大きな教室も見かけたりする。しかし、幸いなことに、というか、不幸なことに、というか、ぼくのとっている授業は全て少人数のクラス。一番人数の多いクラスでも20人くらい。幸いなことに、というのは、先生と学生の距離が短い分、先生も学生同士もお互いの顔と名前を覚えて仲良くなれること。おかげでアットホームな雰囲気で授業を受講できている。逆に、不幸なことに、というのは、必ず出席を取るので休むことはまず出来ず、また小グループでディスカッションを頻繁にするので、宿題やリーディング・アサインメント(授業までに読んでこなくてはいけない文献やテキスト)から手が抜けないということだ。

 実のところ、早稲田でも欧米帰りの教授の下、超少人数(5人ぐらい)で、宿題がたっぷりでるクラスをいくつか受講していたため、そういった授業には慣れていた。(むしろ、そんな授業だから学生が余り寄り付かず、超少人数になってしまう訳であるが。)しかし、文献が日本語から英語になった分、やはり負担は倍増。いや、倍増どころか、トリプル増といった感じである。

 9月の前半、普通のクラスで、ジョン・ロックとトマス・ホッブスの原書をリーディング・アサインメントで読まされたことがあった。一晩かけて格闘してみたが、朝になってもまるで分からない。授業では、この2人の理論の違いを書く小テストがあったが、質問の意味すら理解できなかった。続く小グループでのディスカッションでは、文章自体が理解できていないのに加え、周りのアメリカ人の学生の早口に、ぼくは地蔵のようになっていた。

 次の日、ぼくは決心して教授のところへ行き、言った。ぼくはこの授業についていく自信がないから受講をやめます、と。その初老の女性の教授は、辞めるのは1ヵ月後でも2ヵ月後でも出来るんだから、様子を見てみたらどう?と提案し、分からなかった文章を逐一解説してくれた。

 その授業は、結局アメリカ人の学生すらも音を上げたみたいで、今では学生の数が半分ほどに減ってしまっている。ぼくはというと、ネイティブの学生すらも受講をやめてしまうような授業に、そもそも自分が完璧についていけるはずがない、と開き直ったら、なんだか気持ちが楽になって、何だかんだで今も受講を続けている。相変わらず、リーディング・アサインメントは山のようだし、授業中も周りの話していることを理解するのは難しいけれども、話を聞いているだけでも興味深かったりするものだ。いつか、こんな文献をすらすら読めるようになって、ディスカッションでも積極的に発言できるようになりたいものだ、と思いながら、文献半ばで寝入ってしまうのが、授業前日の恒例となっている最近である。