事実は小説よりも樹なり・ハワイ編22
対イラク攻撃を憂う (2003'03'24)




戦争開始後、ホノルル市街でさっそく売られていたTシャツ
「『イラクの自由』作戦。米国民であることを誇れ。
我々は米国軍を支持する。」とある
ハワイは比較的反戦の雰囲気であるが、
一部の米国人の愛国心をよく表していると言える
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 2つの問題点を憂える

 3月20日、とうとう対イラク攻撃が始まった。イラクへの攻撃と共に発生する2つの問題点を憂える。1つ目は、この攻撃が国連安保理の決議を欠いたままの、正当性を欠いた不法なものだということだ。国連憲章は、加盟国に武力行使を禁止しており、その例外は2つのみである。実際に武力攻撃が行われた場合の、安保理が適切な措置をとるまでの間の自衛権の行使と、国連安保理によって国連軍が作られ、その指揮の下で行われる武力攻撃の2つのみである。今回は、イラクが米国もしくは第3国を攻撃したわけでもなく、また国連安保理の決議も採択されなかった。明らかなに、国連軽視の国連憲章違反の侵略行為であり、その点イラクと差違がなくなるという皮肉に陥った。今回の対イラク攻撃で、たかが外れたように国連の権威が蔑ろにされてしまうことを憂える。2つ目の憂えは、この攻撃により発生するであろう多くの死傷者のことだ。特に、イラクの民間人への被害は莫大な数にのぼるであろう。多くの人が、家を失い、血を流し、殺される。それに対しては、「やむを得ない犠牲」という論理は全く成り立たない。最初の憂いが、外交戦略の延長としての今回の戦争の違法性に対するものに比べ、2つ目の憂いは、例えどんな名目の戦争であっても変わらないものだ。無辜の市民が戦争によって殺されることは、どんな理論によっても正当化しえない。

 地上からの視点

 話は、一旦ハワイに移る。いま大学で、日系米国人についての講義を受講している。日米開戦下、多くのハワイ日系2世は、日系人への偏見に対し自らの身をもって米国への忠誠心を示そうと、進んで戦場へ志願していった。彼らは日系人部隊第442連隊を編成し、欧州戦線では目を見張る功績をあげる。その442連隊に属し、戦闘で右腕を失ったハワイ州選出の米国上院議員ダニエル・イノウエ氏は、大統領にイラク攻撃の権限を与える米上院決議案では反対票を投じた。しかし、反対は100人のうち、わずか23人にすぎなかった。彼はインタビューに、こう答える。
「私が、政界に入った50年前は、議員の50%は戦闘の経験があった。戦争とは死であり、破壊であり、血であることを、その恐ろしさを体で知っていた。いま、そういう経験を持っている議員は数えるほどしかいない。」(2003/3/20、朝日新聞コラム「日本@世界」より)

 対イラク攻撃翌日の3月21日、日本の新聞各紙は一斉に社説で意見を述べている。沖縄を代表する日刊新聞である「琉球新報」と「沖縄タイムス」は、それぞれ「イラク攻撃開始・容認できない米英の行動 速やかに戦争を中止せよ」、「理不尽な米英の『開戦』 市民の犠牲を憂える」との見出しで社説を掲げた。琉球新報の社説は、こう述べる。
「平穏な街を破壊し、多くの一般市民を殺りくしていく戦争がいかに愚かで、悲しい結末しか迎えられないことを、人類は長い歴史の教訓で学んだはずではなかったか。」(2003/3/21、琉球新報社説)

 ダニエル・イノウエ氏と、沖縄の日刊紙に共通するのは、その視点である。欧州で死線をさまよったダニエル・イノウエ氏。死者256,656人という悲惨な上陸戦を体験し、戦後も常に基地と隣り合わせであることによって度々被害者を出してきた沖縄。彼らが今回の攻撃を見た際に、その視点は地上高いB2戦闘機からでもなく、戦場から遠く離れた米国からのそれでもない。爆撃をされるイラクの市民、いわば地上からの視点である。

 島人ぬ宝(しまんちゅぬ宝)

 沖縄のバンド「BEGIN」の曲に、「島人ぬ宝(しまんちゅぬ宝)」という歌がある。昨年の紅白歌合戦でも歌われたらしいので、お馴染みの人も多いと思う。一部をここに紹介させていただく。

僕が生まれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう

汚れてくサンゴも 減っていく魚も
どうしたらいいのかわからない

でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わっていく この海を

テレビでは映せない ラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

 今回の対イラク攻撃の開始につき、その違法性や民間人の犠牲を声高に叫んでみても、では、どうすればイラクが大量破壊兵器の廃棄に積極的に応ずるのか?査察を延長してそれでも応じなかった場合、どういった手段が残されているのか?そしてぼくに果たして何が出来るのか?正直、どうしたらいいのか分からない。しかし、地上からの視点で見たときに、明らかなことが1つある。イラクの無辜の市民達が殺されることは、あってはならないのだ。他に沖縄には、こんな言葉もある。「生命どぅ宝(ぬちどぅ宝)」。生命こそ宝、という意味だ。ぼくには、まだどうしていいのかわからない。でも、大切な物が何であるかは知っているつもりだ。それを少しでも守るために、ぼくは、今回の対イラク攻撃にNOを言い続けることにする。