事実は小説よりも樹なり
アメリカでの「同時多発テロ」について (01'09'14)



 ぼくは、大きく分けて3つの要素から今回の事件を捉えています。

 1つ目は単純に、今回の事件による被害、衝撃の大きさです。
世界経済の象徴であるNYと、政治の象徴であるワシントンの崩壊。
数千人に及ぶ死者、負傷者。
WTCへの2度目の飛行機の衝突やビルが崩壊していく様子がTV映像で全世界に同時中継されたことも、湾岸戦争のときも然りですが、衝撃を倍増させたと思います。

 2つ目はこの事件の、これからの影響性についてです。
単純にビルが崩壊しただけに留まらず、ダウ平均が1万ドルを切り、日経平均も1万円台をかろうじて保っていたところでのテロ発生は経済的に見ても最悪の状況で追い討ちがかかったものと言えると思います。
一気に9500円台まで落ちてしまった日経平均は、今日になって 1万円台に回復しましたが、週明けのNYマーケット再開後、また影響を受けることは必至であると思います。
以上のように、経済的にも予断を許さず、世界的な経済危機も十分発生しうる状況だと感じるのですが、それ以上に心配なのは、アメリカの「報復」についてです。
どうやら米議会が、武力報復に向けた正式な宣戦布告を大統領に求める決議案を上程した一方、世論調査によるブッシュに対する国民の支持率は86%にまで伸び、概ねこの「武力報復」に賛同しているような状況の中、報復によって苦しむ一般市民、そこからまた反感の土壌が形成される悪循環へと突き進む危惧が十分考えれれます。

 さて、3つ目ですが、上記の2つがマクロ的視点から事件を捉えたものだとすると、3つ目はミクロの視点と言えるものです。 自分の個人的な友人で、NYに滞在している友人が2人おり、1人は無事の連絡がありましたが、もう1人は已然連絡が取れていません。 この夏からアメリカへ留学している友人達からの無事を知らせるメールには、その度にほっとしています。
そもそも自分自身、先月アメリカ・カナダに滞在していた身として、早稲田の理工学部2年の男子学生のことは、彼と自分との間の状況に何の違いがあったのだろう?と考えると本当に無念で運命というものに対する無力さに悔しくてなりません。

 そして、しかしながら一番危惧してしまうことは、多くの場合、このミクロで事件を捉えた感情が、先ほどのマクロ的視点でがらっと「報復」という方向に一気に進んで行きがち、ということです。

 日に日に新しい情報が分かり、また次期国会で自衛隊に関する有事立法の成立をめざす動きもあるようで、これからもこの問題については、じっくり捉えていきたいと思っていますが、今回は速報まで。

  

(注・この後、NYに滞在中の友人とは、無事連絡がとれました。)