事実は小説よりも樹なり 文芸坐から新文芸坐へ(00'12'25)



在りし日の「文芸坐」
(写真は00年11月15日付朝日新聞から引用)

 ぼくは中学・高校のとき、塾へ通っていた。学校の補習や大学受験のためである。
 しかし、そもそも学校で勉強しない子が、塾に行ってやる訳がない。 塾に行ってやるような子は、とっくに学校でもやっているはずである。
 にも関わらず、ぼくはそんな単純なことにも気付かずに高校1年まで、塾に行ってさえすれば大丈夫なんじゃないかなと、漠然にただその「塾へ通う」という行為自体をしていた。今考えると勉強するしない以前の問題だったと思う。
 そんな訳で、宿題はしなくて怒られる、テストは出来なくて悲しくなる、などなど行っても余り良いことはなく、度々仮病を使ってサボったりした。
 高校に入って他の塾に変えたのだが、そちらは授業が今一つだったのに加え、出席を取らなかったのでぼくの足は完全に塾から遠のくことになった。しかし親にばれないように、どこかで時間をつぶさなくてはいけない。
 その時打って付けの場所だったのが、池袋にある「文芸坐」という映画館であった。
 名画坐の映画館のため、少し古い映画を2本立てで、尚且つ安く観られる。ぼくは追試で遅くまで塾に残されることが多かったので丁度良かった。
 場所は池袋の中でも、風俗系のいかがわしい店々の一角にある。建てられて50年ほど経っている建物のため見た目も崩れそうだし、中も何だか薄汚れている。床はべたべたしているし、椅子は硬い。しかし、その雰囲気が逆にぼくを落ち着かせた。
 そして結果として、塾に通って勉強するより、ここで学んだことの方が大きかったと思う。
 ジャン・レノの「LEON」や、岩井俊二監督の「Love Letter」といった名作との出会い。  また、劇場に隣接する「文芸坐の喫茶店」が休憩中に出張販売に来る、コーヒーの美味さ。ミルクも砂糖も入れないコーヒーが美味いものだと初めて思ったのはこの時だった。  そして、銀幕の中では、ヒーロー・ヒロインが活躍するのはもちろん、時として、特に格好良いわけではなく、うだつも上がらないのに、どうしようもなく魅力的に思えるキャラクターが一杯いた。そういったキャラクターとの出会いは、何だか、塾へ行っていい成績・大学を目指して頑張る、といったことだけではなく、人間的な魅力は、もっと色々なことが混ざり合ってかもし出されるものなのだなと教えてくれた。
 しかし、そんな「文芸坐」も、時代に合わなくなったのかぼくが高校を卒業する前に閉館してしまった。老朽化した建物は壊された。そして、それと同時に、ぼくも映画をあまり観に行かなくなってしまった。

 あれから、3年と9ヶ月、新しく作られたビルの中の一部としてまた「文芸坐」が作られた。
 先日、12月12日にオープンした「新文芸坐」は、床もピカピカ、椅子もフワフワで何だか不思議な感じもしたが、復活第一作目が黒澤明監督の「七人の侍」、これから21世紀に軌跡を残していくだろう「新文芸坐」で、20世紀の名作を見るのも悪くないなと思った。