事実は小説よりも樹なり
DEAD MAN WALKING (2002'06'01)



 先日、大学のゼミの発表で「死刑制度」を取りあげた。ゼミも2年目である。発表を担当するのも、もう何度目かである。なるべく早いうちに準備したほうが、直前になって焦らないで済むことは十分わかっている。十分わかっているのだが、今回も直前になるまで、なかなか発表の形が出来上がってこなかった。

 そして、「死刑制度について」、発表前日。図書館にこもり、頭の中はすっかり「死刑存置論」とか「死刑廃止論」、もしくは「終身刑」といった単語で埋まりきっていた。図書館の閉館間際まで、膨大な資料と格闘した後、いや半ば負けそうになっていたのだが、休憩がてら生協へ行くことにした。
 やはり閉店時刻が近づいた夜の生協は、客も昼と比べて断然少ない。がらんとした店内は、昼の混雑を考えると、まるで別の店のようでさえある。ぼーっと陳列棚を見ているぼくのまわりでは、ただ店内にかかっているFMのDJの声だけが響き渡っている。「死刑は経済先進国の中では、アメリカと日本しか認められていないんですね。ただ日本の場合は…、」そうそう、そうなんだよね。死刑廃止論の論点の1つには、その国際的・世界的な流れというのがあって…、ん?
 気が付くと、何故かそのFMは死刑制度のことに付いて話し合っていたのだった。思わず、スピーカーのほうへ身体は近づき、そして耳はダンボ状態。

「それでは、今度はそういった死刑制度の持つ問題点について聞いてみましょう。So next what do you think about……」

 驚くべきことに、FMのDJが今度は英語でゲストにインタビューし始めたのだ。そして、それに答えている女性の声。ぼくは、はっきり言って訳が分からなくなってしまった。FMに欧米のアーティストがゲストに来て、インタビューをするというのなら話は分かる。でも、今聞いているFMは、欧米からの女性ゲストに死刑問題についてインタビューしているのだ。わざわざ日本に来てもらってまで、死刑制度について語ってもらいたいような女性が存在するのだろうか?存在するとしたら、どんな人なのだろうか?不思議な気分のままインタビューを聞いていたのだが、最後にその女性が翌日講演会をすること、そして名前は「シスター・ヘレン」というのだということが判明した。
 そして、その後webで調べて初めて彼女が誰なのかを知る。彼女の名はシスター・ヘレン・プレジャン。実は、あのアカデミー主演女優賞を受賞した映画「デッドマン・ウォーキング」の原作者であり、その映画でアカデミー主演女優賞を獲得したスーザン・サランドンが演じた人物こそ、このシスター・ヘレンであったのだ。

 そもそもゼミ発表で今回死刑制度を選択したのは、現在メディアで大きく取り上げられているような時事的・タイムリーな問題を扱うのはちょっとお休みして、たまには普遍的な議論のテーマを扱おうと思ったからだった。
にも関わらず、彼女の来日とちょうどシンクロしたことは奇遇なことであるなと思うし、反面このテーマを扱っていなかったら、確実に彼女の前を素通りしていただろうなと思うと、ただの偶然で片付けるようなものでは、ないのかもしれない。

 そう思って、発表が終わったあと、「デッドマン・ウォーキング」を借りてきて観た。アカデミー賞授賞作品ということもあり、観たことのある人も多いのでは?もしまだの人がいたら、一度観てもらえると、死刑について色々考えさせられて良いと思う。 物語も、最後のほうになると、死刑をのぞむ被害者の遺族、死刑囚に接するシスター・ヘレン、そして死刑囚自身、どこにも悪人はいないように見えた。どこにも悪人はいないにも関わらず、結末は哀しい。

 観終わった後、ぼくのなかで、死刑囚の最後の言葉、
「おれはいいたい 人を殺すのは間違っている  それが おれでも あんたたちでも 政府でも。」 
 この言葉が、しばらくはずっと、頭の中をぐるぐるまわって残っていた。