事実は小説よりも樹なり2003・6
琉球國祭り太鼓の公演のこと (2003'10'13)



エイサー
エイサーを観てきました!
屋外特設会場の、仮設ステージの様子

 琉球國祭り太鼓関東地区7周年公演「我栄(がーえー)」へと行ってきた。琉球國祭り太鼓のことは、このサイトでも幾度となく紹介してきた。沖縄では、お盆の最終日の晩に、「エイサー」と呼ばれる太鼓を使った盆踊りが行われる。そのエイサーにロックやポップス音楽、空手の動きなどを取り込んだ新しい創作エイサー団体が、「琉球國祭り太鼓」である。

パンフレット  1982年に沖縄で始まった「琉球國祭り太鼓」は、現在、日本本土に12支部、沖縄県内に11支部、海外に8つの支部があるそうだ。その海外のハワイ支部に、ぼくは留学中、顔を出させてもらっていたのだ。そういう訳で、今回の公演の事を聞いて、真っ先にチケットを手に入れた。 (写真・公演のパンフレット)

 中野にある会場へと向かったところ、既にホール前の特設広場で「美ら島沖縄、観光・物産展」なるものが開催されていた。沖縄そばや泡盛といった沖縄特産品を扱うブースが所狭と並び、仮設ステージで三線のライブや琉球舞踊なども行われている。「島イカ」の串刺しを焼いているブースの前を通る。その匂いにとても抵抗が出来ない。一緒に行った友達のノリヒトと、3本500円の串刺しを分けることにする。

 そんなことをしていたら、すっかり時間が過ぎてしまった。開演時間ギリギリにホール内へと飛び込む。今回の公演、実は「琉球國祭り太鼓」だけでなく、他に2つのエイサー・グループも出演している。初めにも書いた公演のタイトルである「我栄(がーえー)」とは「互いに演舞を見せ付け競い合うこと」(公演パンフレットより)であるそうだが、他のエイサー団体と競演することによって、この「我栄」を披露しようという訳だ。

 さらに、この「我栄」は、エイサーとエイサーの競演だけに止まらなかった。第1部の「エイサー我栄」の後、今度は第2部として「武と舞の我栄」が披露されたのだ。「武」と「舞」、つまり沖縄が発祥の地である空手や琉球古武道、それに琉球舞踊や獅子舞といった芸能である。ノリヒトとぼくは、元々は中学・高校と同じ空手部だったという間柄である。そのため、バット折りや瓦割といった試割に、思わず2人で目を見張る。

 そして最後の第3部。「迎恩大活祭」として、再び「琉球國祭り太鼓」がメインとなる。先日のハワイでの「エイサー・フェスティバル」の時と同じく、旗の入場によってステージが幕明けする。続いて、琉球國祭り太鼓の定番曲にして代表曲「ミルクムナリ」。今回は、何と曲を作った本人であるアーティストの「日出克(ひでかつ)」さんが直々に登場。首里城をモチーフにした舞台セットの中央で、特性のギターを弾きながら歌い上げる。ステージのみならず、客席の通路にまでいっぱいに並んだ祭り太鼓のメンバーが、曲に会わせ、一斉に舞い、太鼓を打つ。掛け声に震え、気迫に押され、迫力は圧巻。会場である中野サンプラザが小さく感じるほどの勢いには、ただただすごいと思うばかり。同時に、これだけの曲を作る日出克さんや、これだけのステージを作り上げる太鼓の人達を目の当たりにし、自分は何をやっているんだろう、という思いに捕らわれる。本当にすごい、稚拙な表現だがそうとしか言いようのない、そんな歌手や舞台を目の当たりにした時、ぼくはしばしこういった思いに捕らわれる。これだけのものをつくりだす人がいる。自分は何をつくりだせているんだろう。口先ばかりの腑甲斐無い自分を、眼前に突きつけられている気がする。「頑張れ!」という言葉には違和感がある。それでも、「頑張らなきゃな」。そう思う。

 やがて、琉球国祭り太鼓の代表の方による挨拶。聞き取るのが困難なくらい、息を切らしている。とうとう残りはあと4曲だそうだ。最後の曲では、会場全員で「かちゃーしー」を踊りましょうと提案される。「かちゃーしー」は、天をかき回すように手を動かす踊りで、祝いの席には欠かせないものだ。会場全員が立ち上がって練習をする。同時に「囃子(へーし)」と呼ばれる掛け声の練習もする。

 当たり前だが、太鼓は見るより参加したほうが楽しい。だんだんとテンションが上がってきたため、大声で「イーヤ―サーサー」と囃子を合わせる。そして、最後のかちゃーしーの曲。立ち上がるタイミングをうかがっている客席の雰囲気を尻目に、ノリヒトと2人、我先にと立ち上がって踊り出した。やがて、観客席は総立ちに。70人以上のメンバーの太鼓は、一つの統一された響きとなり会場を揺るがす。その響きの中で、総立ちの客席が踊り、沸騰している。それを見ていたら、先程まで感じていた自己嫌悪が、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいるのに気が付いた。ただ、心地の良い一体感と爽快感だけが残っていた。