事実は小説よりも樹なり2003・2
ベアテ・シロタ・ゴードンさん講演会 (2003'08'15)



波の上ビーチ
沖縄、那覇の人工ビーチである、波の上ビーチ
繁華街から徒歩圏内でビーチがあるなんて羨ましい。

 朝から止むことなく降り続く雨の中、今日、日本は58回目の終戦記念日をむかえた。58年前の同じ日には、強い日差しとセミの音の下で、誰もがラジオから流れる声に耳を傾けていた。その翌年の11月3日、現在の日本国憲法が公布された。その前文には、こう書かれている。「・・・、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 最近は、その日本国憲法も、改憲を求める動きが盛んだ。環境権やプライバシー権といった新しい権利を明記するため、第9条を改正するため、など理由は様々だが、その中で「押し付け憲法であるため、自分達の手によって作り直すべきだ」という主張がある。いわゆる「押し付け憲法」論だ。今の憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)によって起草されたもので、日本人自らの手で作ったものでないし、英語を日本語に訳したものだから、そもそも日本語としておかしい箇所がある。だから、自分達の手によって作り直すべきだ、という主張だ。

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 先日、そのGHQの起草者の1人であった、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会へと行ってきた。今年で80歳になる彼女は、憲法の中でも人権に関する条項に携わり、その草案は第14条「法の下の平等」、第24条「女性の権利」などに生かされている。

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 では、そもそも「押し付け憲法」と言われている憲法は、どのように「押し付け」られることになったのか?何も最初からGHQ起草の憲法を押し付けられた訳ではない。GHQから憲法改正の示唆をうけ、内閣は45年10月に松本国務大臣を委員長とする憲法問題調査会を設置した。また、それの他にも、民間の学者や政党などによって、45年から46年にかけて13以上の憲法草案が発表されている。

 そんな中、どうしてGHQ起草の憲法を押し付けられることになったのか?46年2月1日、毎日新聞のスクープによって、政府・憲法問題調査会の憲法改正案が明らかになったのだが、これが実質的には旧憲法と同一のものだったからである。2月24日には、米・英・中・ソなどによる極東委員会の発足が予定されており、米国はその前に何としてでも自らの主導の下で憲法改正をすすめたかった。そのため「マッカーサー・ノート」と言われる3つの基本方針の下、GHQ民政局でわずか1週間で憲法草案が作り上げられ、2月13日には日本政府に手渡された。政府はこれを下敷きに憲法改正案を作り、3月6日に公表。衆議院での審議をふまえた後に、前述したように11月3日の公布となる訳である。

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 説明が長くなってしまったが、ベアテさんは、GHQ民政局員として、この2月の1週間の憲法起草に携わった1人である。当時、何と22歳。現在のぼくより若くして憲法起草に携わったとは信じられない。20数人いた憲法起草に携わった民政局員の中でも、断トツに若かった。しかし、ピアニストで東京音楽学校教授のレオ・シロタの娘であった彼女は、日本語をはじめ、何と6ヶ国語を操る(!)と、いう訳で、この日の講演会も流暢な日本語で行われた。

 ベアテさんは講演で、この「押し付け憲法」論に、こう反論していた。1.自分の持っているものより良いものを押し付ける人はいない。2.当時の国民に圧倒的に喜ばれた。3.日本は昔から、漢字や都の作り方など、良いものを輸入してきた。また、ジェームス三木さんのこんな言葉も紹介していた。「日本の憲法を書いた彼らは、世界の憲法の良い所を集めた。日本の憲法の本当の作者は、歴史の英知だ。」ジェームス三木さんは、GHQ民政局による憲法起草の1週間を題材にした芝居「真珠の首飾り」の作・演出をしている。

 ベアテさんの講演が終わった後、彼女とこのジェームス三木さん、それに「やさしいことばで日本国憲法」を出版した池田香代子さんによる鼎談が行われた。その席で三木さんはこう仰っていた。「押し付け」と言うのなら、「民主主義」だって押し付けられたものであるが、これに関して見直すべきだと言う人はいない。

 また、9・11以降の米国・世界にも話が及んだ。ベアテさんは言う。「私は楽観的だから、またこれからも平和になっていくのではないかと思う。」「全世界に生きている人が、平和の道を探さなくては、人は皆死んでしまうでしょう。」この言葉からは、カントの「永遠平和のために」の言葉が思い出された。「殲滅戦では、双方が同時に滅亡し、それとともにあらゆる正義も滅亡するから、永遠平和は人類の巨大な墓地の上にのみ築かれることになろう」という言葉だ。

 では、平和の道を探すには、どうしたら良いか?ベアテさんは、文化をお互いに知り合うことが平和への近道だと仰っていた。「宗教等とは違い、文化だけは対立しない。お互いを受け入れる。相手のことが分からないといけないし、想像力の欠如から戦争はおきる。」

 鼎談の終わりに池田さんが良いことを仰っていたので、最後にその言葉を紹介して終わりたい。「明治憲法は57年続き、今の憲法も同じく57年目である。明治憲法下の57年の間、日本人310万人、外国人2000万人が日本の戦争によって殺された。57で割ると、毎年平均40万人が殺されたことになる。これに対し、現憲法になってからは誰1人外国人を殺していない。57年間0が続いている。偏狭なナショナリズムではなく、こういったことにこそ自分の国に誇りを持てるのではないのだろうか。」

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 参考文献
「新訂版・憲法の解説」(一橋出版)
「劇画・日本国憲法の誕生」画・勝又進、原作・監修・古関彰一(高文研)