そして、旅立ちの朝に。

プログラムが始まって間もないころ、ある友達と、二人で話したことがあった。このプログラムはとても楽しいし、日数もまだまだたくさんある。でもきっと、あっという間に過ぎていって、想像もできないけど最後はみんなと別れなくてはいけないだね、と。

そして、その別れの朝は本当にあっという間にやってきた。ぼくは普段、朝の時間、朝食と睡眠とどっちをとるかで、いつも睡眠をとっていた。しかし、この日だけはあの食堂で食べるのも最後だと思い、頑張って早起きして食べに行った。普段はうるさい食事のテーブルもその朝はみんな余り言葉を発せず静かだった。


朝食後、時間の早い飛行機で帰る人の出発が迫っていた。みな寮のラウンジに集まって来ている。お互いにしっかり抱き合ったり、写真を撮ったりした。泣いている女の子も多い。この3週間半は、本当に中身の濃い3週間半であった。大変だった。楽しかった。綺麗だった。驚いた。さびしかった。うれしかった。悲しかった。感動した。そんな3週間を一緒に過ごした仲間たち、そんな3週間をぼくに与えてくれた仲間たち。もちろん、東京に戻っても彼らとまた会えることは出来るけれども、こんな時間はもう二度と体験できないだろうなと思うと、どうしようもなく泣きたい気持ちになった。

とうとう、先に行く人達を乗せたワンボックスが出発した。泣きたい気持ちはやまやまだった。でも、泣いてやらないぞと思った。泣くのはもっともっと、20年後か30年後に本当に何か奇跡のようなものが起こったときのために取っておこうと思った。そうして、ぼくはマルボロに火を点けた。走り出したワンボックスを友達の一人が追い駆けていった。それを追ってもう一人走っていった。ぼくは煙草をゆっくりと吸った。
ワンボックスの中の人達は、見えなくなるまでずっと手を振っていた。

その後、多くの人は同じチャーターしたバスに乗って空港に向かった。ぼくもその一人だった。バスの中は静かだった。

空港に着き、直帰する人と違い一人シアトルに寄る予定だったぼくは、
そして、みんなと別れた。

2日後、とうとうぼくも一ヶ月いたアメリカから帰らなくてはならない朝が来た。シアトルの空港のタコベルというタコスのファーストフード店で食べたタコスが、アメリカで最後に食べたものとなる。この、タコベルのタコスをぼくは次、いったいいつ食べられるのだろう。そんなことを思ったりもした。



飛行機が離陸し始めたとき、本当に最後なんだなと思いながら、なぜかぼくは、無意識に窓から見えるアメリカに向かって舌を出した。アインシュタインの写真のように。今思うと、それは好きな男の子にあっかんベーをしてしまう小っちゃな女の子の気持ちに似ているのかもしれない。もしくは、なんだかバツが悪かったのかもしれない。こんなにも、感傷的になっている自分に。それは、よくは分からないけど、とにかくぼくは、そのとき舌を出したのだ。

そうして、ぼくのアメリカでの生活は終わった。