事実は小説よりも樹なり 2005・12
トルコへの旅 6 「スュレイマニエ・ジャミィで会った子供たち」 (2005'06'22)



ジャミィで会った子供たち
イスタンブールに雪が降った翌日、
子供たちは寒さを物ともせずに雪合戦で遊んでいた

 イスタンブール中心地の高台に建つスュレイマニエ・ジャミィ。日本贔屓の青年と会ったこの寺院の裏手には、ジャミィを建設させたスュレイマン大帝とその妻の霊廟があるという。スュレイマン大帝は、「オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主」だそうで、その霊廟も「内装がカラフルで美しい」とガイドブックには書いてある。

 それなら、どんなものか見てやろうと、ジャミィの裏へと行ってみることにした。雪の降った翌日で、人通りのある道を一本裏へと入ると、まだまだ降ったままの状態で雪が積もっている。石の棺が並ぶ中、ザクッザクッと雪を踏みしめながら奥へとすすむと、地元の子供たち5、6人が、甲高い声を上げながら、雪合戦して盛り上がっているところだった。

 「メルハバー!」と、覚えたてのトルコ語の挨拶をして、更に奥の方の霊廟まで歩く。しかし、どうやら霊廟の見学時間は終わっていたようで、すでに入口は閉鎖されていた。「やれやれ」と引き返そうとすると、子供たちが、見慣れぬ異国の旅行客のぼくに、興味津々そうにしている。ニコッと笑いかけると、堰を切ったように話しかけられた。「ハロー!!」「ウェア アーユー フロム??」

 「日本から来たんだよ」と答えると、子供たちは周りに集まってきた。小学校低学年ぐらいの女の子が4人。さらに小さな男の子が1人。それに、お姉さん役の中学生ぐらいの女の子が1人。簡単な言葉を交わすうちに、彼らの雪合戦にぼくもいつの間にか交じっていた。とはいえ、こちらが本気でぶつける訳にもいかず、手加減して投げていると、向こうは全力で当てに来る。命中すると、やったやった!と手をたたいて喜んでいる。

 それにしても、こんな小学校低学年ほどの子供たちも英語を話せるのには驚いた。雪合戦が中断したときに、彼らにそのことを話してみた。
「みんな、英語喋れるんだね!すごいね!」
「・・・・・。」
 あれ?反応がない。子供たちは、この人何を言っているんだろうといった感じで、顔を見合わせている。どうやら、英語が話せると言っても、簡単なフレーズを話せるということらしい。もっとも、ぼくが子供の頃には、「This is a pen. 」ですら分からなかったから、それだけ話せるだけでも十分大したものだと思う。

ジャミィで子供たちと一緒に  記念にと、カメラを向けると、皆が「私も撮りたい!」と大撮影大会になってしまった。デジカメは、撮ってその場で写真を見せられるから、こういう時には便利である。特に、ダリアーという名前の女の子が、一際「あたし、撮る!撮る!」と楽しそうにカメラを手にしていた。カメラ一つ持っているだけで、こんなに子供たちと触れ合える。写真を写すためだけでなく、コミュニケーションの道具としても、カメラを持っていて良かったなと改めて思う。

 ただ、話をしている中で、どうしても分からない言葉があった。子供たちは盛んにトルコ語で「××××?」と問いかけてくるのだ。その言葉が分からないので、「××××??」と聞き返す。「英語で言うと何のこと?」と聞いても、お姉さん役の子もさすがに何というのか分からないらしい。子供たちは、何とか伝えようと、両手の人差し指を正面に指差すようにして、右手と左手をぴたっとくっつける手振りをしている。所変われば、ジェスチャーも変わるが、確かその手振りは、ガイドブックには「友達」と書かれていたぞ。なるほど、「ぼくらは友達だよね」、ということが言いたいのか!そう解釈して、「フレンド!」と言うものの、子供たちは、違う違うと、また「××××!」と問いかけてくる。どうやら彼らの言いたいことは別のことらしい。

 やがて、お姉さん役の子が建物の中に入って、辞書を取り出してきてくれた。懸命にページをめくり、指差されたところを見てみると、「married」と書かれている。そうか、「結婚しているの?」ということが聞きたかったのか!「いや、まだ独身だよ!」そう答えると、子供たちも、やっと伝わったことが嬉しかったのか、パッと笑顔が広がった。

 子供たちは、まだまだ話しかけてくる。たどたどしい英語で、でもなぜか会話は成り立っているから不思議だ。
「そうだ、日本に帰ったら写真送ってよ!」
 もちろん!と言って、連絡先をメモ帳に書いてもらった。
 いつのまにか、空が夕日で赤く色づき始めている。子供たちが家に帰っていくのと共に、ぼくもスュレイマニエ・ジャミィを後にした。子供たちは、やわらかな西日が射してきた雪解けの坂道を、元気よく下がっていった。