事実は小説よりも樹なり 2005・7
トルコへの旅 1「いざトルコへ」 (2005'04'01)



ブルーモスク
雪を被ったスルタンアフメット・ジャミィ
ブルー・モスクの名で親しまれている、トルコを代表するイスラム寺院

 イスタンブールの桟橋で、ヨーロッパとアジアをへだてるボスポラス海峡を眺めながら、トルコ名物の回転焼き肉「ケバブ」を挟んだサンドイッチをかぶりつく。目の前に停泊していた、アジア側へと結ぶフェリーが出港すると、何十羽というウミネコたちが器用に羽をばたつかせながら船の後を追いかけていった。そんな風景を目で追いつつ、再度、ケバブサンドにかぶりつく。ふとした考えが頭によぎる。どうして自分はいま、イスタンブールにいるんだろう。

 そもそも、長期の旅に出ようとずっと考えていた。それも、最初は漠然と「深夜特急」のような放浪の旅をしたいと考えていた。しかし、旅の計画は諸事情により次第に矮小化していく。日程が2月いっぱいの数週間しか取れない。何より、お金が手許にぜんぜん無い。

 数カ国にまたがる旅をしないとして、1カ国のみ行くとしたらどこだろう。1番目の希望としては、イスラム教の国へ行きたかった。かつてサミュエル・ハンチントンが書いたように、今の世界は、まるでキリスト教対イスラム教の構図を呈している。そんな風に、単純な枠組みに括ってしまうことの是非はともかく、一度自分の目で、イスラム教の社会を見て感じておきたかったのだ。さらに2番目の希望として、日程と金銭的な都合により、ビザを取らずに入れる国が都合良かった。そうして浮かんだのがトルコだったのである。

 さっそくネットで安い航空券を調べて、旅行代理店へと電話した。
「すいません、このネットに出ている一番安いイスタンブール行きのチケットが欲しいんですが。」
「ありがとうございます。えーと、お日にちは?」
「1週間後の2月11日が希望です。」
「少々お待ちください。…、うーん、既にいっぱいのようですね。」
「そうですか…。では、前後で取れる日はありますか?」
「えーっと、前日の10日ならアエロ・フロート航空さんで、お値段もそんなに変わらずにお席を用意できますよ。」
「じゃ、それ下さい。」

 と、大して考えもせずに購入した航空券。買ってから問題に気がついた。乗り換えのモスクワ空港で6時間近く待たされること。そして、イスタンブールに到着するのが夜中の0時半だったのである。ま、何とかなるか。

 出発当日。成田を昼過ぎに離陸した飛行機は、10時間ほどのフライトを経て、現地時間午後5時頃にモスクワに到着。モスクワはもちろん、ヨーロッパ方面へ来たのは初めてである。機内の表示によると、外気は氷点下9℃。

 飛行機の小さな窓から外を眺めたところ、どこまでも雪の白い大地が続き、その先へと、真っ赤な夕陽がまさに落ちようとしているところだった。夕陽はそのまま見続けることが出来るほどの優しい陽射しで、その赤い陽射しが飛行機の中にも差し込んできて、ぼくの手元を真っ赤に染めていた。

 モスクワ空港は、これがかつての超大国の首都の玄関なのかと信じられないほど、係員の対応は横柄で、空港全体の照明も暗く、おかげに空調も寒かった。全体的に陰鬱な空気が漂っているのだ。しかし、売店の物価だけは、ビール1杯$7といった感じで、普通の先進国並みに高い。6時間もの乗り継ぎ時間、やることといったら寝ることぐらいだが、その寒さと雰囲気の故か、中々寝付くことすら出来ない。

 おかげで、その後のイスタンブール行きの機内では、猛烈な眠気が襲ってきた。機内食を食べた後、抗いようの無い眠気に、身をまかせるようにして眠る。それから、どれくらい経過しただろう。着陸のドスンという衝撃で目が覚めた。イスタンブールだ!日本を出てから18時間半。タラップに横付けされて驚いた。雪だ!窓の外は、ここイスタンブールも一面の雪の世界だったのだ。イスタンブールは、東京よりも寒いとは聞いていたが、まさか雪が降っているとは。かくして、雪の中からトルコの旅は始まったのである。