事実は小説よりも樹なり 2005・03
沖縄の世界遺産を廻る 1
「首里城・園比屋武御嶽石門・玉陵」
(2005'01'19)



守礼の門
暗闇の中、ライトアップされる
首里城の守礼の門

 以前、沖縄の新聞社を受験しに行った時のこと。以下のような問題が出された。

 「沖縄の世界遺産の名前を、それぞれ以下の選択肢の中から選んで、地図上の記号と一致させなさい。」

 世界遺産か・・・。確か、首里城とかだったなと思いながら選択肢を見ると、

 「ア・首里城、イ・首里城跡、ウ・首里城群、・・・」

 ムムム・・・。何となく覚えているという人を、容赦無く落とす選択肢。そんな訳で、全然分からず、その試験は惨敗。

 しかし、よくよく考えてみれば、こういった問題は、一度でも足を運んでいれば容易に解ける問題である。そもそも、仮にも沖縄の新聞社で働こうとしている人間なのに、世界遺産を一度も廻ったことがないというのは、熱意を疑われて当然かもしれない。次回沖縄入りする時には、世界遺産を全部廻ろう。そう思い続けて、今回の滞在に至ったという訳である。

 そもそも、沖縄の世界遺産とは何か?沖縄サミットのあった2000年、日本で11番目のユネスコの世界遺産として、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の登録が決定した。具体的には、9つの資産で構成されている。首里城跡(しゅりじょうあと)、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、識名園(しきなえん)、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)の9つである。

 1.首里城跡(しゅりじょうあと)
首里城正殿  9つある沖縄の世界遺産のうち、最も有名なのがこの首里城。沖縄を訪れる観光客の定番スポットで、連日多くのツアー客、修学旅行生で賑わっている。そのためか、5年前に初めて行った時よりも、建物がくたびれている印象も・・・。何度か焼失・再建を繰り返しながらも、約500年にわたって琉球王国の城としてあり続けたのだが、沖縄戦によって焼失。その後、正殿は1992年に復元された。

 2.園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
園比屋武御嶽石門  振り仮名が無いと、少し読むのが難しい「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」。2000円札でお馴染みの、首里城「守礼の門」のすぐ横に位置する石門のことである。「御嶽(うたき)」というのは聖地を意味しており、沖縄では、この御嶽で祈願する風習があった。例えるなら、日本本土でも山の木々や石に、しめ縄がはられ、地元の人に信仰、礼拝されている場所があるが、沖縄の「御嶽(うたき)」とは、正にそういう場所なのだ。そのため、現在でも地元の人が祈願に訪れる。「御嶽」は色々な所にあるが、この「園比屋武御嶽」は、石門の裏手の森全体が聖地となっており、琉球王国の国王が祈願に訪れた場所である。元々は1519年に創建。沖縄戦で大破した後、1957年に復元されたとのこと。

 3.玉陵(たまうどぅん)
玉陵  これまた、振り仮名なしだと読むのが難しいが、「たまうどぅん」と読む。王の陵墓という意味だが、「王」の字をそのまま使うと恐れ多いということで「玉陵」となったとのこと。沖縄戦で大きな被害をうけたものの、1977年に復元竣工された。こちらは、守礼の門から歩いて3分ぐらい。それだけの近さにも関わらず、ツアー客や修学旅行生は通常訪れないため、閑散としている。訪れたのが日没間近だったのだが、薄暗くなった空の下、石灰岩で作られた陵墓が薄暗く浮かび上がっているのは、何だか東南アジアの遺跡のよう。そう言ったら、案内してくれた沖縄の友達がつぶやいた。「沖縄は日本じゃないですからね。」なるほど。確かに。

 まだ3つしか紹介できていない。続きは、また次回。