事実は小説よりも樹なり 2005・02
総括・2004年!後編 (2005'01'13)



白谷雲水峡
昨年の屋久島への旅で訪れた、白谷雲水峡

 先回の続き。昨年1年間を振りかえって10にまとめてみようという企画。今回は後編の6〜10。
(今週も、沖縄自動車合宿のレポートはお休みします。)

6.就職活動から内定へ(6月)

 大学を卒業し、3月下旬から4月上旬、就職活動のピークを迎えた。新聞社はどこも高い倍率で、実際に内定されるのは、100人に1〜2人とも言われている。筆記でまず約20%に絞られ、そこから3回ほどの面接で、10%→2%→1%と絞られていくのである。筆記試験は、勉強して準備すれば、ある程度までは何とかなる。面接も1次は、ミーハーな気持ちではなく、本当にその仕事をやりたくて受験したのかを見極めるというから、明確な志望動機を伝えられれば大丈夫だろう。しかし、2次、3次の面接では、「協調性」や会社の「好み」に合うかを見ると言われている。この辺りは、にわかに努力してどうにかなるものでもない。

 そこで考えたのが、「数撃って当てよう作戦」である。100%→10%に残るまでは、自分の努力で何とかしよう。でも、そこから先の10%→1%は、会社側の「好み」の問題にもなってくるから、あらかじめ10社受けておけば、確率からすれば1社は受かるだろう、と。

 そうして、新聞社、通信社、TV局などを軒並み受験していった。4月初旬までに8社を受験したのだが、最終面接の後の結果は待てども待てども連絡がなく、不合格が決まった日には、思わず鎌倉の海へたそがれにいってしまったほどだ。残るのは2社。さすがに焦ってくる。しかし、ダメならまた秋に再々受験しようと、割り切った気持ちで面接に臨んだのが良かったのか、9社目に受けた新聞社から、6月下旬に内定の通知を頂いた。やっぱり、「10社受ければ1社は当たる作戦」が効を奏したようである。

7.フリーター生活(6月〜)

 就職活動も一段落したが、入社は翌4月からである。それまでは、人生の長い長い夏休みだ。旅にも出かけたいし、免許の合宿にも行きたいが、バイトもしない就職活動期が続いたせいで、先立つものが全くない。そこで、コールセンターでアルバイトを始めることにした。朝8時45分出勤、夜6時に退勤と規則正しい生活になり、大学時代と違って、朝も起きられるようになった。加えて、以前に長くアルバイトをしていた飲食店の系列店からも誘いを受け、週末の夜のみ、日比谷にあるダイニングバーでもバイトをするようになった。今年1月までは、このフリーター生活が続く予定。

8.岡山・屋久島へ旅に出る(8月)

 8月には、1週間あまりかけて、岡山と屋久島へと行って来た。岡山からは足をのばして高松まで行ったのだが、四国は今回が初上陸である。また、九州では熊本で途中下車して、とんこつラーメンを堪能してきた。熊本に下り立つのも初めてのことである。これも、詳しくは事実は小説よりも樹なりのバックナンバーを参照。

9.沖縄に免許合宿で滞在する(11月〜12月)

 昨年末からトップページに更新を始めたように、免許合宿(という口実)で沖縄に3週間半滞在した。元々は石垣島で免許を取ろうと思っていたのだが、費用が沖縄本島のほうが手頃だったため、本島中部の具志川市にある教習所にしたのである。これで、2004年は3回、延べ日数で丸1ヶ月間、沖縄で過ごしたことになる。今後も、毎年少なくとも一度は足を運ぶつもりでいる。

10.自動車免許取得(11月〜12月)

 そもそも、2004年の目標は、大学を卒業し、仕事を見つけ、免許を取得し、彼女をつくる、の4つだった。あいにく、彼女は出来ず終いで年を越えてしまったが、車の免許は12月20日にすべり込みで取得。誕生日が年末のため、年明けてから取ったほうが有効期限は得なのだが、やはり2004年度中に取ってしまいたかった。学科の勉強も、時間が経つと忘れてしまいそうであったし。東京に戻ってきてからは1回しか運転していないのだが、気が置けない友人たちには、お前の運転には絶対に乗りたくないと言われている。・・・、誤解です。濡れ衣です。

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 今年2005年は、ぼくにとって、とうとう就職の年になります。それにともない、4月以降は東京からも離れることになる予定です。文字通り、新天地での新しい生活が始まります。とは言え、このページは何らかの形で続けて行きますので、どうぞ今年も宜しくお願い致します。