事実は小説よりも樹なり 2005・01
総括・2004年!前編 (2005'01'06)



沖縄の空
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願いします

 明けましておめでとうございます。昨年も色々なことがありましたが、こうしてお互い新しい年を迎えられて何よりです。新年初回の今回は、毎年恒例、昨年1年間を振りかえって10にまとめてみようという企画。日付順にまとめたところ、思いのほか長くなってしまったので、2週にわたり前半と後半に分けて更新します。
(その間、沖縄自動車合宿のレポートはお休みします。)

1.就職活動を再び始める(1月)

 2004年は、前年からの宿題を持ち越した状態でスタートした。大学卒業を控えているのに、就職先が決まっていなかったのである。一時は、どこでも良いから就職しようと思っていたが、年末年始に卒論に取り組むうちに決意した。やっぱり、自分のやりたいことをやれる、そんな仕事を目指してもう一度チャレンジしてみよう。

 こうして、新聞社を再度受験することを決め、その勉強や準備を始めることにした。
 自分のやりたいこと。それは、モノを書くこと。それも、小説や詩ではなく、ノンフィクション。実際に現場に行き、モノを見て、人に会い、話を聞いてくる。そこにある事実は、時に小説よりも奇妙不可思議で面白い。

2.英検準1級を取得する(2月)

 前年からの宿題は、就職だけではなかった。この英検準1級も、前年に筆記をパスした後に、面接を二日酔で休んでから、そのままになっていたのだ。予備校時代、大学に入ったらすぐに英検準1級を取得するつもりでいた。それが、気が付いたらもう卒業間近である。

 試験当日。面接の順番を待っていると、扉の向こうから、小林克也のような面接官の英語が聞こえてきた。どんなダンディーな面接官なのだろう?とうとう自分の番になり扉を開けると、そこにはきれいに禿げ上がった、眼鏡をかけたおじさんの姿があった。
 結局、楽しくおしゃべりして無事に合格する。

3.沖縄に米軍基地の自主取材に行く(2月)

 1月初めに提出した卒論が、「沖縄米軍基地問題」について。執筆中は十分な時間が取れず、実地に取材に行くことができなかった。その代わりにと、提出後の2月に沖縄へと自主取材に出かけた。
 「取材」と書くとえらそうだが、要は自分の足を運んで、自分の肌で沖縄の現状を感じたかったのである。辺野古へ行った際には、運良く(?)米軍の演習を目の当たりにし、実際に基地の中に入ることもできた。詳しくは、「沖縄」を参照。

4.奈良、沖縄、名古屋へと足を運ぶ。(2月、4月、6月)

 2004年の特徴の1つは、一度も海外に行かなかったということである。大学に入学して以来、それまでは毎年どこかしら海外へと出かけていた。
 代わりに2004年は、国内によく足を運んだ。沖縄の翌週には奈良へ。4月には、再び沖縄へ行き、6月には名古屋へと行った。

 実は子供の頃、名古屋から電車で1時間ほどのところに、2年半ほど住んでいたことがある。機会があったら、ずっと行こうと思っていたその場所を、おおよそ20年振りに訪ねてみた。
 角にあった雑貨屋さんは、当時の雰囲気のまま健在だった。家へと続く坂道は、昔はもっと急だったように感じる。家の前の公園は、子供の頃はもっと大きかったハズだ。そして、以前住んでいた家も、あいかわらずそこにあった。
 今でも誰か住んでいるようで、車と洗濯物が干してある。ただ、庭の雑草には無頓着のようで、伸び放題になっていた。向かいの公園のブランコに座って、しばらくその家を眺めていた。

5.大学を卒業する(3月)

 3月、とうとう留学を含めて5年在籍した早稲田から卒業をした。しかし、卒業式当日。大学に着いた時には、式はちょうど終ったところだった。朝寝坊したのである。いや、分かっていたが寝続けていたので、そこまで何が何でも行かなくては!という気持ちが欠けていたとも言える。
 卒業しても進路は決まっていないし、何よりその日は午後から会社の面接が控えていた。そのため、「巣立ちの時」というよりも、何だか1つの通過点にしか感じられなかったのだ。
 考えてみれば、高校のときも、進路が決まらないまま卒業をした。歴史は繰り返す。
 「進路報告=アルバイト」という届出用紙と引き換えに、卒業証書をもらった。

(後半は、1週間後に更新予定です。)