事実は小説よりも樹なり 2004・29
日本新聞博物館・浜離宮庭園 (2004'10'06)



汐留の高層ビル群
浜離宮庭園入口附近から汐留を臨む
暮れてきた空に、高層ビル群の光が輝きだす

 8月半ば、屋久島への旅から東京へと戻る。とはいえ、ぼくにとっての夏休みは、これで終わってしまう訳ではない。大学を卒業した今年の春から、仕事の始まる来年春までの1年間は、いわば人生の長い長い夏休みのようなものである。バイトも、遊びも、旅も、全て自分の思ったように計画を立て、思ったように行動をする。もちろん、実際にはフルタイムの仕事と同じようにアルバイトを入れているのだが、基本的には自由気ままな生活なのだ。そこで、今回は屋久島から戻ってきた以降の、気ままな夏休み生活を紹介する。

 8月後半

日本新聞博物館  横浜にある日本新聞博物館へと行く。今年2月1日に開通したみなとみらい線に乗って、「日本大通り駅」で下車。駅の真上というロケーションのため、出口に上がると、そこが博物館の入口となっていた。

輪転機  ロビーへと入ると、まず巨大な輪転機(新聞を印刷するための機械)が目に飛び込んできた。実際の館内は「企画展示室」、「歴史ゾーン」、「現代ゾーン」の3つに別れている。特に興味深かったのが、現代の新聞の編集や印刷といった各分野を紹介する「現代ゾーン」。よく「政治部」や「社会部」といった言葉を耳にすることがあると思うが、それぞれの部署がどういった取材や活動内容をしているかを展示している。実際に火災現場へ行って、どのように取材を行うかシュミレーションするTVゲームや、実際の新聞記事に見出しをつけていくゲームなど、見るだけでなく体験できる工夫が随所になされ、長時間いてもなかなか飽きない。

 また、「歴史ゾーン」では、新聞が「かわら版」と呼ばれていた明治の時代から、戦時統制期を経て、現代の新聞へと移り変わっていく様子が分かる。戦後、ピュリッツァー賞を受賞した3人の報道カメラマンの写真をまじまじと眺めていたら、よほど食い入るように見つめていたのか、高齢のボランティア・ガイドの方に「写真やってらっしゃるんですか?」と尋ねられた。

 「まさか。とんでもないです。」とあわてて答えたのだが、写真が素人のぼくにも、その頃使われたスチールカメラなどについて、丁寧に教えてくださった。聞くと、長年スポーツ紙の写真部に所属していたそうで、当時そのカメラをつかって大相撲の取材をしたときの様子などを教えてくれた。

 開館から閉館までほぼ1日いたのだが、じっくり見ようとすると、1日いても時間は足りないくらい。さらに、この新聞博物館の上、8階・9階には「放送ライブラリー」も開館している。この「放送ライブラリー」、日本で1ヶ所だけのテレビ番組の図書館なのだそうだ。懐かしいテレビ・ラジオ番組、さらにCMも座席でゆっくり視聴できるというのだ。とはいえ、この日は新聞博物館で精一杯。また後日足を運ぼうと、後ろ髪引かれながら後にした。

 9月前半

 都会のオアシスを求めて、浜離宮庭園へ。昨年、新宿御苑に行った際には、新宿の高層ビル群と広い芝生とのコントラストが、まるでTVで見るNYのセントラルパークのようで、都会の中の公園に、ちょっとはまってしまったのだ。

 高層ビル群といえば、新宿の他には、汐留の高層ビル群。そこで、ビルの間をすり抜け、浜離宮庭園へと行ってみることにした。

 広さ約25万?。新宿御苑との最大の違いは、やはり横がすぐ海というロケーションだろう。元々は将軍家の庭だったらしく、いまも将軍の乗船場跡が残る。海の横の散歩道からは、レインボーブリッジや晴海のトリトンスクエア、竹芝などが間近に見える。園内は、緑が多い一方、人はまばらで、何だか時間がゆっくりと流れている感じだ。9月前半に行ったために、まだまだ夏の日差しではあったが、それも日が暮れるにつれて、だいぶやわらいできた。

中島の御茶屋からの眺め  庭園内にある池に浮かぶ「中島の御茶屋」に入ってみた。ここでは、抹茶と和菓子のセットが500円で楽しめる。池を臨むテラスの席に座り、抹茶をすすりながら、日が暮れゆく様子を眺めていた。最近の「癒しブーム」は、あんまり好きではないが、ここに座っていると思わず口に出てしまう。「ふう。癒される。」(写真=中島の御茶屋からの眺め)

 ぼくが行ったときには、庭園はまだまだ夏の装いであったが、これから11月下旬〜12月初旬が紅葉の見ごろだそうである。まだ足を運んだことのない方は、その頃にぜひ。

 

 人生の夏休みは、まだまだ続く。続きは、また今度。