事実は小説よりも樹なり 2004・26
屋久島への旅 4 
「イルマーレと湯泊温泉」
(2004'09'09)



湯泊温泉
湯泊温泉「先の湯」。2つある湯船のうち、こちらは小さいほう
写真は5年前に行った時に撮ったもの

 一見すると、アイスクリーム・スタンドと見まがうほどの簡素な店舗。そのテラスの席にぼくらは座った。簡素とはいえ、眼前には、遮る物一つない屋久島の空が広がっている。時刻は丁度、夕暮れへと変わる頃。

 オーナー手作りのメニューを見ると、前菜にパスタ、ピッツアと多くの種類が用意されている。ぼくらは迷いながらも、前菜の盛り合わせにサラダ、自家製ベーコンのクリームソースパスタ、ピッツアはハーフ&ハーフで、パルマ産プロシュート(生ハム)とマリナーラ(ガーリックスライスとオレガノ)を注文した。

 今だから、正直に言おう。ぼくは高をくくっていた。イッチは「東京でもなかなか味わえないイタリアンの店がある」と言っていた。とはいえ、そこそこのものを出していれば、飲食店自体少ない場所柄、美味しくも感じられるのだろう。そんな、奢った気持ちは、前菜を食べながら「おや?」という気持ちに変わり、パスタやピッツアに至り、完全に崩れさった。東京に居たって、これほどのものは中々食べられない。

 例えば、自家製ベーコンのクリームソースパスタ。厚く切られたベーコンは、うっすらとしたスモークの香りと共に、口の中で噛むごとにジュッと肉汁が飛び散る。ベーコンって、こんなに美味しいものだったのか。クリームはバニラのようなほのかなやさしい甘みあり、更に食欲をかきたてる。

イルマーレのピッツア  美味しいのは、その味付け、トッピングだけではない。パスタは麺が、ピッツアは生地自体が特別なのだ。特にピッツアは、冷凍の生地で焼かれたものとは、違いが一目瞭然。ハーフ&ハーフで頼んだのだが、運ばれた時に、まず見た目で「おおっ!」。口に入れて2度目の「おおっ!!」。更に、別の種類のほうも口に運んで3度目の「おおっ!こっちも美味い!!」。

 あっという間に平らげたぼくらは、2枚目のピッツアも注文することにした。「ドライトマトとガーリックとアンチョビ」と、「アサヒガニ」のハーフ&ハーフ。ここのピッツアなら、何枚でも食べられそうな気さえする。

イルマーレのコーヒー  食後にコーヒーを頼もうとメニューを見ていたら、「カフェアフォガード」というのに目が止まった。「バニラアイスにエスプレッソをかけたドルチェ」とある。その説明を読んだだけでも美味しそうである。実際に口にしてみると、もはや「美味い」ではなく、「幸せ」すら感じてしまった。だって、そうでしょう。金色に染まった屋久島の空を眺めながら、美味しいパスタとピッツアに舌鼓を打つ。適度に満ち足りたところに、エスプレッソの良い香りと、バニラアイスの甘い優しさが溶け合って、なんだか自分の意識まで一緒に溶け込んでしまいそうになるのだ。(写真=カフェ・アメリカーナ)

 今回の屋久島。なかなか出だしから好調じゃないか。そう思いながら、「イルマーレ」を後にする。帰り際に、次回ソフトアイスが無料になるカードをもらった。「こんなカードをもらったら、また来ない訳には行かないじゃないですか。」そう話したら、優しそうなヒゲの店長は、笑いながら、「それが狙いです」。

湯泊温泉  この日の締めくくりは、屋久島南部にある湯泊(ゆどまり)温泉へ。波が押し寄せる真横にあるこの温泉に入りたくて、宿も近くにとったほどだ。しかし、5年ぶりに訪れた温泉は変わってしまっていた。車の駐車場とトイレが整備され、その横にはちょっとしたお店まで出来ている。肝心の温泉は、以前は混浴だったものが、仕切りが出来てしまっていた。地元の生活の湯といった感じだった温泉が、何だか観光地化されているのだ。

湯泊温泉  この湯泊温泉、波打ち際の直横に、「先の湯」と呼ばれる小さな別の浴槽がある。ぼくらは、もっぱらこの波打ち際の「先の湯」派であった。暗闇の中、懐中電灯を頼りに、マイ風呂桶を持って岩場を進む。そこまで観光地化されていたらどうしようとも思ったが、はたして「先の湯」は昔のままの姿で残っていた。先客に挨拶して、5人も入ればいっぱいとなる湯船へ浸かる。と共に、温泉の香りが5年前の記憶を一気に蘇らせた。ああ、これだ。この感じだ。(写真=湯泊温泉。5年前の旅の際に撮影)

 夜空を見上げると、かつて見たこともないほどの星空が広がっていた。もちろん、いままでだって綺麗な星空を眺めたことはあるはずだ。でも、そんな記憶すら忘れてしまうほど、ぼくは星空をずっと眺めていなかった。流れ星が落ちる。気が置けない仲間と、ぼくの旅での浪費をネタに笑い合いながら、いつまでも湯に浸かっていた。