事実は小説よりも樹なり 2004・22
バイト体験談 4 「池袋の無国籍料理レストラン」 (2004'07'29)



バイト体験談 4 「池袋の無国籍料理レストラン」
バリ島にある古代遺跡ゴア・ガジャ
(写真は、バリ島へ旅行した際に撮影)
バイト先の無国籍料理屋では、この遺跡を真似た内装になっていた

 予備校時代から1年半以上続けてきた登録制軽作業の仕事だが、大学1年の秋頃、そろそろ別のバイトがしたいと思うようになった。登録制軽作業は、それなりに稼げるし、予定も融通が利く。しかし、毎回違う現場に行くため、毎回初めてのバイト先に行くような緊張感を味わうことになる。正直、そのことに、疲れた。

 そう思うようになったきっかけがある。その登録制軽作業の事務所から、夏の間、お台場のカフェへと派遣されていた。そこで、専属スタッフの社員やバイトの人と働くうちに、いつも同じバイト先で同じ仲間と働くほうが、仕事に行く度に緊張することもなく、働きやすいと思うようになったのだ。

 同時に、接客業は自分と合っている気がした。同じ時間、体を動かすにしても、地味に搬入・搬出の作業などをしていると、気分がどうしても内へとこもり滅入ってくる。それよりも、多くの人に触れ合うほうが、気持ちが外へと発散できるのだ。

 前置きが長くなったが、そういった経緯で始めたのが、池袋にある無国籍料理屋でのホールのアルバイトだ。大学1年の12月より働き出し、結局大学4年の夏から留学する直前まで、約2年半以上働き続けた。ぼくが今までしたアルバイトの中で、もっとも長く続けた仕事のうちの1つである。

 最初は先輩や同期も多くいたのだが、やめる頃には最古参の1人となっていた。ホールに出たり、インフォメーションとして全体を仕切ったり、バーでお酒を作ったり、パントリーでひたすら皿を洗ったり。ここでの仕事は、完全に自分の生活の一部となっていた。そのため、長期の旅行等で全く働かない日々が続くと、何だか不思議な気持ちすら覚えた。

 営業が終わって、1日の締め作業も終了した後には、よくスタッフ同士で「お疲れビール」で乾杯した。疲れた後の1杯は、格別だった。たまに飲みすぎて、帰りの電車の中、すっかり酔っ払っていることも多々あったほどだ。

 米国同時多発テロ。21世紀を迎えた世界の転機となったこの事件も、第1報を聞いたのは、この店の蒸し暑いパントリーのラジオからだった。何だか分からないけど、大変なことになった。NYのタワーだけでなく、未来に向け平穏になっていくと思っていた世界そのものが崩れていくような、そんな漠然とした気持ち。そんな気持ちと、この店のパントリーの風景は、不釣合いながらもずっと結びついて、ぼくの中には記憶されている。

 昨年の秋、かつてのバイト仲間から、その店が閉店するという知らせが届いた。今では改装され、別の料理屋が営業している。大学生活の長い時間を過ごしたあの空間は、いまは、もう、どこにもない。