事実は小説よりも樹なり 2004・21
屋久島の旅、計画進行中 (2004'07'20)



屋久島の旅、計画進行中
あの時、屋久島で出会った黄昏の浜辺
いまでもフォト・フレームにいれて部屋に置いている

 旅に行く計画が進行している。メンバーはいつもの旅仲間、ニョーリー、キク、イッチとぼくの男4人だ。高校の同級生の間柄だが、ぼく以外のそれぞれが働き出してからは、全員そろって旅に出ることも難しくなった。4人のうち、3人で会うことは何度かあったが、4人皆で旅に出るのは、実に2年ぶり以上だ。

 行き先は、屋久島。そもそも、ぼくが大学に入った年の夏に、最初に彼らと旅したのが屋久島だった。もう一度、原点に立ち戻ろうという訳だ。

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 大学1年の夏休み、当時お台場にOPENしたての「パレットタウン」のカフェでバイトをして、旅の資金をひたすら貯めた。8月最後の日曜日、1人で東京駅から夜行の普通列車に乗り込み、ほぼ丸24時間電車に揺られて博多に着いた。そこから更に夜行バスで鹿児島へと行き、朝一番のフェリーで屋久島へと向かう。当時書いたノートを読み返してみたところ、以下のように書かれていた。「屋久島に着く。タラップへと降りると、海と空の境界が分からないくらい青がどこまでも続いていた。」

 そのまま、先に滞在していたニョーリーやキクと合流し、海へと泳ぎに行く。その際、沖のテトラポットまで泳いで登ったところ、予想以上にフジツボがびっしりとついていて、手や体を多く切ってしまった。更にこの後に「湯泊」という、海のすぐ横にある温泉へと行ったのだが、そこでも海で泳いでいた時に右腕をざっくりと切ってしまう。(そのときの傷は今でも残っている。)おかげで、その後しばらく、何かにつけて「ケガ多すぎ」と突っ込まれることになる。

 夜には、屋久島の焼酎「三岳」が待っている。屋久島は飛び魚が名物なのだが、そのミンチをハンバーグにして火を通し、醤油をジュっとかけて熱いまま食べる。もう、それだけでも屋久島に来た甲斐があるという感じだ。当然、「三岳」はさらにすすむ。明日は山へ行って屋久杉を見よう!と言いながらも、夜遅くまで飲みつづける。

 翌朝は強く雨が降り続いていた。昨夜、もし早寝していたとしても、登山は出来なかった訳だ。皆、当然のように昼まで眠る。雨がやんでから島を周ったところ、夕方、言葉に出来ないような黄昏に出会った。川が海原へと注ぎ込み、柔らかな白波が揺らいでいる。水平線では、雲が黄金に染まっている。それだけの風景にも関わらず、その砂浜には人っ子1人おらず、ぼくらの足跡しか残っていない。この世のものとは思えない。少なくとも、同じ日本で見られる風景とは思えない。

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 「生きることは旅すること」と言われる。しかし、同時に、「旅すること」が、その後の「人生」を決めることもあると思う。相変わらずの、行き当たりばったりの旅仲間のため、未だに航空券を取っていないのが1人、直前にならないと行けるかどうかも分からないというのも1人。しかし、ぼくは楽観視している。なるようになるさ。

 あれから5年。あの時と同じように、この夏も普通列車とフェリーで屋久島を目指す。