事実は小説よりも樹なり 2004・19
「このまま、ゆでガエルになってたまるか」 (2004'06'27)



バイト体験談 2
公示日翌日に参院選の期日前投票へ行ってきました
結構、若い人も投票に来ていたのが印象的でしたね

 ゆでガエルの話というものがある。ぐらぐらと沸騰しているお湯の中を用意して、そこに突然カエルを入れると、カエルは熱さを感じてすぐに外へと飛び出すことができる。しかし、まず冷たい水のなかにカエルを入れて、それからだんだんと温めていくと、熱くなってきてもカエルは飛び出そうとしない。そしてそのままゆでガエルになってしまう。

 参議院選挙が近いが、低投票率について民主党の岡田克也代表はこう言っていた。「政治に対する失望感、あきらめがあると思います。」(NEWS23・6月25日放送)しかし、ぼくはそうは思わない。失望感、あきらめを感じる以前に、そもそも政治に感心がない人が多いと思うのだ。「年金」や「不況」、「イラクへの自衛隊派遣」。確かに問題ではあるが、ぼくらは普段そんなことを感じないで生きていける。自衛隊が多国籍軍への参加すると言っても、自分が明日から自衛隊員になって、イラクで危険と直面するわけではない。所詮、対岸の火事の出来事なのだ。「不況による失業率やフリーターの増加」。それは逆から言えばフリーターをやっていても、十分生活していけるということの裏返しとも言える。不況だったり、イラク問題だったり色々あるけれども、多くの人は、毎日何だかんだで暮らしている。学校や会社に行き、友達と顔を合わせ、飲みに行ったらそれなりに盛り上がり、たまにはデートを楽しんだりする。そこには、今すぐ政治の力を必要とする、切羽詰った問題など見当たらない。

 「失望感」や「あきらめ」は、政治に期待をするからこそ出てくるものだ。しかし、政治に「期待」どころか「関心」すらなくても、毎日楽しく暮らしていくことが出来る。それこそが、低投票率の原因であると思う。

 では、このままの政治、このままの社会で問題ないのか?答えはNOである。この国は、確実におかしな方向に向かっている。脚本家の小山内美江子さんは、東京新聞に「多国籍軍に反対!」と題して、以下のように書いていた。

 「大義の無い戦争に抗議するのは、日米の納税者に、当然補償された権利であり、現憲法にも明記されている。だが、抗議に行った市民は家宅捜索に遭い、ビラを撒いたものは長期間、拘束されたという。これでは物言えば唇寒しで、国民主権国家の転覆となる。私たちの親の世代は少しずつ押し潰され、私たちは疑うことを知らぬように教育され、戦争と劫火の中を生き残ったが、あの時の足音が聞こえてくるような気がする。」(04年6月21日)

 おりしも、同日の紙面には、飯島首相秘書官のこんな言葉も紹介されていた。「普通の人は忙しくて新聞なんか読まない。大事なのはテレビとスポーツ紙と女性誌」(東京新聞・04年6月21日)有権者もなめられたものである。

 このままでは、ゆでガエルになる。気が付いた時には、「物言えば唇寒し」で自由に自分の意見を表現することが出来なくなる。東京都の君が代・日の丸問題を見ていると、思想及び良心の自由だって危ない。気が付いたら、「非戦闘地域」という名の下の「戦闘地域」に送り込まれ、「自衛権」の行使という名の下で、ぼくのこの手で誰かを殺めることになってしまうかもしれない。

 ぼくは、ゆでガエルにはなりたくない。だから言います。あなたにお願いです。投票に行きましょう。どちらを支持しても良いし、どれも支持できなければ白票だって構わない。どんな形であれ、あなたの意思を表明して下さい。ゆでガエルになってしまわないために。参議院選挙は、7月11日(日)。ぼく?もう期日前投票で済ませました。