事実は小説よりも樹なり 2004・16
“世間体”という“根拠のない恐怖” (2004'06'04)




“世間体”という“根拠のない恐怖” 01
イラクで人質になった郡山さん、安田さん、渡辺さん3人の
「帰国報告集会」入口に置かれた看板=05月20日夜

 前回、「乱暴な自業自得論」には、3つの理由が考えられると書いた。?要求の内容が「自衛隊撤退」だったこと。?3人が、政府や会社から派遣されたのではなく、個人としていったこと。?人質家族の事件を受けての反応、コメント。の3つだ。

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 ?要求の内容が「自衛隊撤退」だったこと。
 そもそも、何故こういった要求が出てきたのか?取りも直さず、自衛隊が「『敵』である占領軍」の一員と見られたからであろう。前回書いたように、イラクに自衛隊が派遣されていなければ、日本人の拘束は起きなかったはずだ。つまり、3人が死の恐怖に瀕することになったのは、政府が自衛隊を派遣したためだ、と言うことすらできる。浜辺哲也・経済産業研究所総務副ディレクターはこう書いている。

 「自衛隊撤退論が起きないよう、人質事件の原因を被害者の『自己責任』に転嫁しようとする政治的な意図が働いたとの指摘さえ出ている。」(毎日新聞04年04月26日)

 もし仮に、武装勢力の要求が、単に「身代金」や「拘束された仲間の解放」であったとしたら。そのような、日本政府の「自衛隊イラク派遣」というナイーブな政策とは無関係の事件だった場合は、今回のように「乱暴な自業自得論」は起こらなかったのではないか。

 ?3人が、政府や会社から派遣されたのではなく、個人としていったこと。
 東京新聞04年04月29日の「記者の眼」で、吉岡逸夫・社会部記者は以下のように書いていた。

 「もし彼らが、政府の要請や会社の命令で行っていたとしたら、きっと同情を集めただろう。それが、過去の人質事件と違っていた点だ。日本人は、個人が個人の判断ですることに、生理的になじめない。それは異分子と見なされ、たたかれやすい。どこか子供のいじめの世界に共通するものがある。」

 この指摘には頷ける。もし彼らが政府職員だとしたら、同じスポット情報が出ている中で、警備もつけずに移動して拘束されたとしても、このような「乱暴な自業自得論」は出なかっただろう。吉岡・社会部記者は、「個人主義の浸透した欧米と日本の論調で違ったのは、そのためだろう」とまとめている。同感である。

 ?人質家族の事件を受けての反応、コメント。
 劇作家・演出家の鴻上尚史氏は、雑誌SPAに連載しているエッセイで、以下のように書いていた。

 「三人の家族が、もし初めから“世間体”という“根拠のない恐怖”を知っていたとします。  『バカ息子、バカ娘は死んでもかまいません。恥ずかしいです。どうか村八分にしてください。』 一番最初に、そうコメントしていたら『自己責任』だの『自己負担』だのと、政府は言い出さなかったし、国民も同調して盛り上がらなかったと、僕は断言します。(中略) 『自己責任』も『自己負担』も論理的な結論ではありません。それはただ、“世間様”の逆鱗に触れただけです。」(SPA 04年05月4・11号)

 この指摘は、「乱暴な自業自得論」の、一番の本質をついているように思う。被害者家族へのバッシングが起きた根本的理由は、この「“世間様”の逆鱗に触れた」ことだと思うのだ。

 例えば、5月22日の小泉首相訪朝に対する拉致被害者家族のコメントも、バッシングを引き起こした。北朝鮮による拉致被害者は、自分の判断で行った訳では決してない。それにも関わらずバッシングが起こったのは、首相訪朝という国の行いに対し、個人が感情的に個人の主張をしたことが、「“世間様”の逆鱗に触れた」ということなのだろう。

 誤解を避けるために書くが、イラクでの人質家族も、北朝鮮による拉致被害者家族も、自分の主張を控えるべきだ、というのではない。このことは、鴻上氏も、

 「『自衛隊を撤退させないと、人質を殺す』と言われたら、人質の家族には、『自衛隊を撤退させて欲しい』と言う“権利”があります。」

 と書いている。しかし、更に以下のように続けている。

 「そして、国には、『たとえ人質が殺されても、自衛隊は撤退しない』という“権利”があるのです。ただし、今回、国はこう言いませんでした。言ってしまって、国民の感情的反発を恐れたのでしょう。『人質救出のための最大限の努力』という言い方で、根本の問題のお茶を濁しました。すると、人質家族の言葉だけがクローズ・アップされます。国は努力しているのに、自衛隊の撤収を求めるとんでもない家族、という構図になって、家族は大量の中傷の言葉を浴びました。」(SPA 04年05月18日号)

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 5月7日に、年金未納問題の責任を取る形で、福田康夫氏が突然、官房長官を辞任した。この時、よく言われたコメントで、「菅直人・民主党代表が、もし先手を打って辞任していたら、逆に政府を窮地に立たしたのでは?」というものがあった。

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 同じように、「自己責任論」のifを考える。もしも、イラクの人質家族が最初にこう言っていたら。

 「世間の皆様に、ご迷惑をかけて大変申し訳ありません。バカ息子、バカ娘は、自分の判断でイラクに入ったのですから、死んでもかまいません。なので、自衛隊は撤退させないで下さい。」

 恐らく、「自己責任論」という名の「乱暴な自業自得論」は吹き荒れなかったばかりか、健気な家族に対し、「自衛隊は撤退しない」と明言した血も涙もない政府、という構図になっていたのではないだろうか。

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 「自己責任論」という名の下の、「乱暴な自業自得論」。そこには、この日本の社会が持つ“世間様”という、目に見えない、しかし非常に大きな“根拠のない恐怖”が見え隠れしている。