事実は小説よりも樹なり 2004・15
似て非なるもの 「自己責任論」と「自業自得論」 (2004'05'26)




似て非なるもの 「自己責任論」と「自業自得論」 01
人質事件を伝える新聞
ここ最近、大見出しになるようなニュースが
やたら多いような気がするなあ

 イラクで武装グループによって、日本人が3人、2人と立て続けに拘束された人質事件。日本国内では、「自己責任論」なるものが吹き荒れた。一段落した現在、改めてあれは何だったのかを考えてみたい。

 事件の一方を聞いたとき。びっくりはしたが、同時にそうでもない気持ちもあった。日本が陸上自衛隊をイラクに派遣した時から、ある程度は予想できていたことだからだ。だから、言わんこっちゃない。自衛隊がイラクに行くことによって、こうやって善意でボランティアや取材にあたろうとする人達までが迷惑を被るのだ。そもそもの問題は、米国支援を打ち出し、自衛隊を派遣した日本政府にある。

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 しかし、日本政府の自衛隊派遣の政策と、「自己責任」の話とは別だとの指摘がある。「人質になった人々は、(中略)“理不尽な”状況下で、民間の活動が危険にさらされていることを熟知し、それでも、高い志の故に彼の地に赴いたはずだ。であれば安全確保に最大限の配慮がなければならない」「志だけでは不十分であり、堅い覚悟と同時に、入念な準備が必要である」(草野厚・慶大教授、東京新聞04年05月14日)

 この指摘には納得をした。確かにそうだ。そもそもの問題が自衛隊派遣にあったとはいえ、5人はそれを知って、現地での状況も把握した上で、イラク入りしたのだから。

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 その上で、「自己責任論」をどう考えるか。一番問題なのは、「自己責任」という言葉の定義が曖昧なまま使われていることだ。それぞれの人が、各々の考える「自己責任」で議論を進めているので、お互いに話が噛みあっていない。

 例えば、青木盛久・元ペルー大使はこう言っている。「自分の責任で言ったのだから、政府に助けてくれというのはおかしい。政府として『この人たちは日本国とは縁もゆかりもない』という立場をはっきりさせたらどうか。」(毎日新聞04年05月17日)いわば、「政府は助ける必要はない論」だ。

 では、「自己責任論」を述べる当の政府はどう考えているのか?ここは、現地緊急対策本部長ともなった、逢沢一郎・副外相自身の言葉を引用しよう。 「海外に滞在する邦人の保護は政府の重要な任務の一つである。いかなる経緯があるにせよ、邦人が巻き込まれた事件が発生すれば、政府はその保護に全力を挙げて取り組む。しかし、現地の警察制度が未整備な状況では、邦人保護についても、日本政府ができることはおのずと制約がある。(中略)憲法に掲げられた大切な自由(22条・海外渡航の自由)を守るためにも、禁止や規則ではなく、あくまで国民の皆様が『自らの安全については自らが責任を持つ』という認識の下で行動していただくことが非常に重要だと考える。」(毎日新聞04年04月26日)

 どうであろうか。前述の「政府は助ける必要はない論」とは、明らかに一線を画し、邦人保護は政府の重要な任務だと明確に述べている。その上で、憲法22条「海外渡航の自由」を守るためにも、自らの安全については自らで責任を持てるようになりましょうよ、と言っている。ぼくには、逢沢副外相の言う「自己責任論」は、かなり的を射たものだと思えるのだ。

 一方で、「自己責任論」には、やたらと救出費用を強調する「救出費用論」と言うべきようなものもある。「救出費用20億円なのに自己負担は35万円(週刊新潮)」、「人質3人救出金 交通費・人件費だけで4000万円(女性セブン)」といったものだ。(東京新聞04年04月26日「週刊誌を読む」より)

 このような多様な「自己責任論」を、前述の草野厚・慶大教授は2つに分けていた。?「政府の責任を認め、NGOの意義を評価した上で、自己責任の原則を自覚して、安全確保すべきとの議論」と、?「乱暴な自業自得論」の2つだ。逢沢・副外相の言うような議論は前者にあたるだろうし、「政府は助ける必要はない論」や「救出費用論」といったものは、後者にあたると思う。

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 では、どうしてこのような「乱暴な自業自得論」が噴出したのか?ぼくには、その理由は3つあると思う。?要求の内容が「自衛隊撤退」だったこと。?3人が、政府や会社から派遣されたのではなく、個人としていったこと。?人質家族の事件を受けての反応、コメント。の3つだ。

 それぞれ、何故そのことによって「乱暴な自業自得論」を誘発したのか?続きは、また次回。