事実は小説よりも樹なり 2004・14
門外漢の女子バレー談義 (2004'05'18)




門外漢の女子バレー談義 01
上空から撮ったハワイ・オアフ島です
本文に関係する写真がなかったもので・・・

 女子バレーボールにはまっている。連日放映されていたアテネ五輪世界最終予選兼アジア予選。気が付いたら、毎日テレビに見入っていた。

 これは、ぼくにとっては異例中の異例のことだ。球技は野球、サッカーはおろか、卓球にいたるまで全く出来ず、週5回もある高校の体育の時間が恨めしかったものだ。自慢ではないが、中・高の球技大会は、中学1年の1学期に参加したソフトボール以降、出欠だけとっていつもサボり続けていた。

 自分が不得意ということもあり、球技は観戦するのも興味がない。日本中がお祭り騒ぎとなっていた2002年のワールドカップの際にも、図書館に残って勉強していたぐらいだ。(と、同時に「周りに流されない確固たる自分」なーんて、ちょっと得意げに思ったりもするのである。勘違いとは、本当恐ろしいものだな。)

 では、どうして突然変異してしまったのか?それは、バレーそのものが好きになったというよりも、この全日本のチームが好きになったからに他ならない。

 初戦のイタリア戦の日。特に興味もなく9時過ぎに帰宅した。さすがにもう中継も終わっているだろうとテレビをつけると、試合は第5セットにもつれこんで続いている。思わず見入っていたところ、世界ランキング4位のイタリアに勝ってしまったのだ。強いじゃないか、日本!

 試合を見ていて気になった選手がいた。身長180cm以上がほとんどの中で、一際小さな選手がいる。身長159cmの竹下佳江選手だ。へー、小さな選手もいるんだな、と思っていたのだが、この竹下選手がすごい。今回の最終予選メンバー、共に19歳のメグ・カナのコンビや、主将の吉原選手、また大友選手や佐々木選手といった強力なアタッカーにスポットがあてられがちだ。しかし、それらの豊富な攻撃陣に、多彩にかつ常に正確にトスを上げているのが彼女なのだ。

 自らもセッターとして活躍した全日本女子の柳本晶一監督は、セッターの重要性について、以下のように説明したという。

 「100点のセッターと70点のアタッカー5人がいるAチームと、70点のセッターと100点のアタッカー5人がいるBチームが対戦したら、おそらくAチームが勝つだろう。それぐらい大事なポジションなんです」(産経新聞 04年02月23日)

 なるほど。全日本女子の強さは、一見、その豊富な100点級アタッカー達にあると思われがちだ。しかし、それを活かすも殺すもセッター次第。その意味で、何よりも120点のセッターである竹下選手の存在が不可欠だ。159cmという身長。セッターとは言え、それだけ小柄ながら全日本のコートに立ちつづける実力は、取りも直さず誰よりも努力し、練習してきたということの表れなのだろう。彼女を見ていると、ぼくは自分の不甲斐無さに恥ずかしくなる。もっと、もっともっと頑張らなくちゃなと思うのだ。

 結局、イタリアのみならず、韓国も下し、全日本は予選を1位通過。文句なしの五輪出場権獲得だ。しかし、昔から一貫して強かった訳ではない。前回2000年のシドニー五輪予選。あと一歩というところで、出場権は全日本の手からこぼれ落ちていった。前述の竹下選手や、リベロの成田選手は、そのシドニー五輪予選を経験。その後、一度は現役を離れ、バレーからも遠ざかっていたという。

 柳本監督には、「経験に裏打ちされた人生哲学」があるという。「勝負ごとは、負けて、勝つ、の連続やと思う。挫折を経験した中で次にどうするかなんや」。(04年05月17日 東京新聞・共同配信)

 挫折を経験し、もういいや、とあきらめる。何で駄目なんだ、とふて腐れる。そういった易き道を選ばずに、もう1度同じ目標へ挑戦するには、よっぽどの強いモチベーションと、どうしても成し遂げたいという気持ち、それを支えるバレーへの熱い想いがなければ、ままならないだろう。竹下選手、そして全日本女子の強さは、挫折をふまえ、それでも前を向こうとする姿勢の表れなのではないかと思う。

 韓国戦のタイムアウト。柳本監督が、こう檄を飛ばしていた。「中やで、中やで!相手やないぞ!」もしかしたら、試合や試験といった勝負事は、始まった時点には、既に終わっているものかもしれない。他者との戦いではなく、勝負までいかに自分の中で築き上げてこられたか。挫折を踏まえ、再び五輪出場を目指した日本。その視線は、もっと先を見据えている。予選最終日、日本はロシアにストレート負けを喫した。この借りは、夏のアテネで返せばいい。