事実は小説よりも樹なり 2004・10
基地の島で考える6 「国境のゲートを抜けると米国であった」 (2004'04'14)



基地の島で考える6 01
漁師さんたちに、採れたてのイカをごちそうになりました。
ぶつ切りで網焼き。ビールとの相性も抜群。最高!

 「国境のゲートを抜けると米国であった。」今回の沖縄訪問では、米軍基地に入ることができた。船に乗せてくれた漁師の方が、基地内に立ち入り可能のパスを持っていたのである。この地元の人にのみ発効されるパスがあれば、基地内の飲食店や映画館、体育施設を使用することが出来る。

基地ある島で考える6 02  車で、基地のゲートをくぐる(写真)。中へ入り、感じること。「ここ、アメリカだなあ。」道が幅広く、その横には、歩道、芝生と広がっている。もちろん標識やサインも英語だ。その風景は、留学中にいつも見ていた「アメリカ」そのものである。やがて、「タコベル」と「ピザハット」の看板が見えた。「タコベル」というのは、タコス専門のファーストフード店だ。日本にはないと思っていたが、こういった形で存在するとは驚いた。

基地ある島で考える6 03  車を一旦降りて、ジムの中を案内してもらう。やはり、海兵隊の基地だけあって、トレーニングマシンは、一般のフィットネス・クラブを上回るほど充実していた。広いロッカー室にシャワールーム。更に、体育館のドアを開けて驚いた。とにかく、でかいのだ。バスケット・コートが3面か4面はとれる広さで、更に可動式の客席まで備わっている。(写真=米軍施設・喜舎場テラスハイツの様子)

 また、外に出て車でまわる。大学の寮のような兵舎が、芝生の中にいくつも建っていた。印象的だったのは、それぞれの兵舎の前に、冷蔵庫やテレビが固まって置いてあったことだ。恐らく、沖縄から移動となった兵隊が、捨てる代わりに、誰か引き取り手を探して置いていったのだと思われる。

 海上から見た、ペンションのほうにも行ってきた。眺めのいいプラベート・ビーチの前に、BBQ用のコンロが並んでいる。こんなところで、天気の良い日にパーティーでも出来たら最高だろうな、と思う。日本と違ったのは、砂場みたいな場所があったこと。漁師さん曰く、米国人が良く行う、馬の蹄鉄を投げる輪投げのような遊びのためのスペースだそうだ。

 更に、基地の奥のほうまで行くと、基地の中にまたゲートがあった。その先の、うっそうとした林のように見えるところは、弾薬庫になっているという。そのため、基地内の人間でも、限られた人しか入場できない。

 基地から出た後も、何だか不思議な気分だった。正直な話、辺野古は、かなり田舎だ。昔は歓楽街として栄えていたようだが、今は車で15分ほどの名護市街まで行かないと、ビデオだって借りられない。しかし、フェンスを一枚隔てた向こう側には、ちょっとした街のようになっていて、映画館だってあるのだ。

基地ある島で考える6 04  さて、辺野古に一泊した翌日、名護市街をまわってみた。辺野古を比べ、交通量も格段に多く、中々の市街地である。それにも関わらず、商店街を歩くとシャッターを閉めている店が多い(写真)。普天間基地代替施設を受け入れた代償に、名護市は数々の振興策を手に入れてきた。2000年のサミット開催。以前紹介した、マルチメディア館も、国際海洋情報センターも、振興策の1つである。2002年には金融特区に指定され、制度適用を目前に控えている。しかし、それらは本当に地元の振興に結びついているのであろうか?一過性のサミット。地元の人が働く機会の少ない金融特区。そして、シャッターの開かない店が並ぶ商店街。

基地ある島で考える6 05  その、サミット会場となった万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)。足を運んでみたところ、運が悪いことに、その日は会議で使用中。後から新聞で読んだところによると、金融特区の展望を議論する「沖縄金融専門家会議」が行われていたそうである。仕方ないので、建物の外観だけ見学した。サミット参加各国の旗が風になびく下には、沖縄にサミットをもたらした故・小渕首相の銅像が鎮座していた(写真)。