事実は小説よりも樹なり 2004・9
基地の島で考える5 「ジュゴンは本当に辺野古にいるのか?」 (2004'04'05)



基地の島で考える5 01
辺野古の集落は、かつて「Aサインバー」と呼ばれる
米軍公認の酒場で賑わった。
沖縄の中でも、一、二を争う賑わいだったという。
その当時の面影を残すのは、今では古びた建物だけである。

基地ある島で考える5 02  沖縄、辺野古の海の沖合に、船に乗ってぼくはいる。つい前日まで、東京で忙しくしていたのに、である。米海軍の揚陸艦を、やや離れたところから眺める。水陸両用強襲車の収容は、中々時間がかかっている(写真)。

基地ある島で考える5 03  そもそも、こういった水陸両用強襲車と、それを収容し輸送する揚陸艦は、何のためにあるのか?それは、「海兵隊」という軍隊組織の性格と、密接に結びついている。陸・海・空・海兵の四軍の中でも、「海兵隊」は相手国・地域に、最初に上陸して殴り込みをかけていく部隊だ。そのため、他の部隊と比べても、人一倍の訓練を積み、血気盛んなイメージがある。しかし、先のイラク攻撃を見ても明らかなように、開戦直後にいきなり上陸を試みるようなことはしない。まず、1600キロメートルという驚異的な射程距離を誇るトマホーク・ミサイルによって、十分に軍事拠点や施設を破壊し、それから上陸をするのである。つまり、沖縄に駐留する在日米軍が「日本を守ってくれている」という神話があるが、少なくとも、こういった強襲部隊である海兵隊は、そもそも日本防衛のための軍隊ではないのだ。

基地ある島で考える5 05  さて、船から辺野古の海を見ると、エメラルド・グリーンに、どこまでも透き通っている(写真)。そうしたら、漁師さんたちが口々に言う。「演習のせいで、ちょっと白く濁っているね。」これだけ透明なのに、である。

基地ある島で考える5 06  沖合の演習の逆側、陸地のほうを見ると、基地の様子が良く分かる。まだ発進していない水陸両用強襲車が、浜辺に並んでいる。また、三角屋根の建物(写真)を指差し、漁師さんが教えてくれた。「あれは、ペンション。あそこなら眺めも良いし、上等だね。」何と、基地の中にはペンションまで用意されているのだ。辺野古地区の基地のある部分は、いわば半島のように突き出した形になっているのだが、その先端近くに、プライベート・ビーチと共にペンションが並ぶ。湾を挟んだ反対側には、「カヌチャベイ・リゾート」という、観光客向けの最高級リゾートホテルが見えた。後から調べたところ、このリゾートホテルは、一泊ツイン3万3000円から。一方の、米軍内のペンションは、米軍関係者なら格安に利用可能。建設予算は、もちろん日本政府の思いやり予算である。

 漁師の2人からは、他にも地元ならでは、の印象的な話を聞いた。そのいくつかを紹介しよう。
 ・軍用地主のこと。
 沖縄の米軍基地の土地は、国有地がほとんどの日本本土の基地とは異なり、民有地も3分の1と大きな割合を占める。「そういった、基地の土地を持つ地主の人もいるんですよね?」と聞いたら、「基地反対や返還運動もあるけれども、本当に返されてしまったら、そういう地主の人たちは、むしろ困るはずね。」とのこと。「沖スロ」という沖縄発祥のスロットマシーンがあるのだが、昼間からパチンコ屋に入り浸っている人の中には、こういった軍用地主の人も多くいるらしい。

 ・婦女暴行事件のこと。
 また、婦女暴行事件もよく問題になっていますよね?と聞いたら、「あれは、本当可哀想さー。」と、2人とも口々に言っていた。その上で、「しかし、被害に遭うのは、英語が出来ない人がほとんどだね。」とも。女性が飲食店やクラブ、繁華街などで、米兵と出会ったとき、会話するものの、相手の言うことが良く分からず、とりあえず「ウンウン」とか、「イエスイエス」などと相槌を打ってしまう。それにより、米兵としては相手も合意しているものだと思い、お店から連れ出し、いざ事に及ぼうとする。そこまで来て、初めて女性は抵抗するものの、中にはもう米兵が辛抱出来なくなっている場合もあり、そういった時には不幸な結果になってしまう、と。確かに、こういった事件が起こった場合、公判で被告が「合意の上」だった、と主張することがある。もちろん、沖縄に米軍基地が集中している故に、こういった事件は起こる。

基地ある島で考える5 06  ・ジュゴンのこと。
 「そういえば、辺野古の海には国の天然記念物であるジュゴンがいるって言われていますけど、本当にいるんですか??」答えは、意外なものだった。「もう、長いことここで漁をしているけど、1度も見たこともないね〜。」毎日のように、海に潜っている2人の答えである。そして、ある本土から移住してきた平和運動家の話を教えてくれた。彼は、平和を願う市民が辺野古を訪れるたびに、お金を取ってグラスボートに乗せ、「ここがジュゴンのいる海です」と案内するという。本来、その地域で船を出すには、地元の漁協に属さなければいけないが、漁師の人々は黙認している。その彼が、ある時こう言っていたという。「ジュゴンがお金を連れてくるのさ。」

 話は脱線するが、ジュゴンを基地建設反対の理由に挙げるのは、「戦術」の1つだと聞いたことがある。基地建設を、政治や安全保障の文脈で真正面から反対しても、中々ストップをかけることは難しい。しかし、環境問題として取り上げたなら、国際会議等でも注目され、基地建設を断念に追い込むことができるのだ、と。確かに、戦術としては、上手いやり方だとは思う。

 しかし、本気で「ジュゴンがいるから基地建設はダメ」という反対派の人には、ぼくは違和感を覚える。辺野古の海には、ジュゴンだけでなく、鰹もイカもサザエもタコも、多くの魚介類が存在する。サカナの他にも、牛や豚、鳥は食べるために日々殺している。それなのに、どうしてジュゴンだけを守らなくてはいけないのか?「ジュゴンは、天然記念物にもなっている貴重な動物だから。」米国民を守るため、イラク国民に多少の犠牲が出るのはやむを得ない、というのは間違っている。命は誰もが平等だ。もし、そうであるならば、牛や豚の命と、ジュゴンの命も、また平等であると思うのだ。ジュゴンだけを「貴重だから」と特別視するなら、米国民だけを特別視するのも良いではないか。

 話を戻そう。毎日のように漁にでる2人は言う。「ジュゴンはいない。」一方、ジュゴンは「いる」と主張する平和運動家は言う。「ジュゴンがお金を連れてくるのさ。」辺野古の海に、ジュゴンはいるのか、いないのか。ジュゴンがいるから基地建設反対と言った場合、それは天然記念物の保護などには、本当は関心もないけれども、「戦術」として主張しているのか。それとも本当にジュゴンの保護や、他の天然記念物の保護に関心があるのか。それとも・・・。

 辺野古の人々が新たな基地建設にどう思っているか、よりも、見たこともないジュゴンを引き合いに出して、米軍基地に反対をする人々もいる。

 ぼくは、エゴだから思う。日々、牛や豚、鳥、サカナを食べている。また都市化の社会で、確実に他の動物の居場所を奪っている。けれども、人類が存在している以上、多かれ少なかれ他を犠牲にするのは仕方がない、と。ぼくは、エゴだから思う。遠いイラクやパレスチナの人々の、日々の暮らしや治安、未来が気になっている。しかし、それ以上に、同じ日本の、沖縄や東京の人々の、日々の暮らしや未来が気になっている。ぼくは、エゴだから思う。世界中の平和ばかりを追い求めて、自分自身や身内はかえりみないよりも、まずは自分や身近な人を笑顔にしたい、と。

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 今週で、沖縄の旅の話は最終回にする予定だった。しかし、ジュゴンの話で、すっかり長くなってしまった。「基地の島で考える」、もう少しだけ続きます。