事実は小説よりも樹なり 2004・8
基地の島で考える4 「演習・水陸両用車」 (2004'03'25)



基地の島で考える4 01
イラクの砂漠地帯に駐留する米軍・・・。、ではありません
これも、日本国内である沖縄での風景なのです

基地ある島で考える4 02  金融特区の建物を見た後、地図を頼りに辺野古の海へと自転車を漕ぐ。浜辺へと続く道は、真新しく整備されていた。突如、後ろのほうからヘリコプターの音が響く。ヘリは、ぼくを追い抜いて、道の先のほうで着陸した。

基地ある島で考える4 03  道はやがて、堤防で囲まれた港に着いた。堤防の奥には白い砂浜があり、透き通った海がどこまでも続いている。しかし、砂浜の50mも先からは、鉄線ひとつ隔てて米軍の施設になっている。先ほどのヘリも、この基地内に着陸したのだ。また、砂浜の鉄線の向こう側を良く見ると、迷彩色に塗られた車両が並んでいた。どうやら、水陸両用強襲車のようで、訓練を待っているのか、何人かの米兵が立っている。

基地ある島で考える4 05  真っ黒に日焼けした、若い漁師が2人。堤防に座り、その様子を見ながら弁当を食べていた。いつも、あそこにあんなに車両が並んでいるんですか?と聞いてみたら、いつも並んでいる訳ではないとのこと。あっても、今日みたいに10台近くも並んでいるのは珍しいらしい。あれが海の中を通ると、せっかく仕掛けたタコの仕掛けが壊されたり、位置がずらされたりしてしまって困る、とのこと。

 タコの仕掛けを仕掛けるのは、もちろん素潜りで行う。他にも、素潜りでアワビやウニを取っているという。つい先日には、防衛庁長官も視察に訪れたらしく、その際にも頼まれてアワビやサザエを取ったという。毎日長時間泳いでいるだけあって、真っ黒に日焼けした体は、筋骨隆々としており、腕などは、ぼくの2倍ほどもある。

 普天間基地の県内移設が決まってから7年。しかし、目の前の海には、未だ巨大な海上飛行場が出来る兆候の、カケラすらも見られない。ぼくが沖縄へ訪れる数日前には、「普天間飛行場 米『代替なしで返還も』 日本に打診 嘉手納へ統合検討」と報じられた(毎日新聞04年02月13日朝刊)。つまり、この辺野古の海に代替飛行場が建設されないかもしれないという訳だ。海を見ながら、ここに本当に飛行場が出来るんですかね?信じられない感じもするんですけど・・・、と話した。すると、「いや、出来るよ。ここまで色々作ってもらったりして、今さら後には引けないよ。」と、彼らは言った。先回紹介したハコモノだけでなく、真新しい道路も、漁協の建物も、みんな防衛庁に建ててもらったものだと話していた。

 でも、海上飛行場が出来たら漁が出来なくなってしまうんじゃ?と聞いたら、保証金も出るし、離れた所へ漁に出れば良い話だから、とのこと。ただ、確実に、ここら辺の潮の流れは変わるだろうね、と言っていた。

基地ある島で考える4 06  突然、1人が、沖を指差し「船だ!」という。ぼくには、何も見えない。近視とはいえ、コンタクトを使用している時は、1.0はあるのに、だ。「え?見えないの?あそこに、見えるさー。」と彼は続ける。やがて、沖のほうに小さな黒い点が見えた。それは、みるみるうちに、大きな船影へと変わっていった。度々米軍の船を見かけるものの、これほどの大きな船は初めてらしい。その船は、これから発進する水陸両用車を収容するために来たのである。

基地ある島で考える4 07  話を一旦中断して、鉄線のそばまで歩いてみる。鉄線には、赤や黄色のリボンが無数についており、よく見たら、一つ一つに飛行場建設反対派のメッセージが書かれていた。今日のように、水陸両用車が大規模に演習を行うのは珍しいようで、基地建設の反対派の人々も数人やってきていた。話を聞くと、本土からの移住者だそうで、演習の監視をもう長いこと続けているらしい。

基地ある島で考える4 08  鉄線の向こうにいた米兵にも話しかけてみた。演習があと何分ぐらいで始まるか知りたかったのである。話すまでは、訓練中の兵隊にむやみに話しかけて良いものなのか?そもそも、演習訓練に関する事柄など、機密事項ではないのか?と、心配を覚えたのだが、杞憂に終わった。「いつ出発するかって?そうだなー。あと30分くらいかな。」話しかけた兵隊は、驚くほどあっさり教えてくれた。そのまま、訓練開始を前に、暇そうにしていた彼等と喋りこむ。どっから来たの?とか、いくつなの?とか。4人いた彼等のうち、同い年の1人を除いてみんな年下。1人は、まだ18歳だそうだ。やがて、集合の合図がかかり、また車へと戻っていった。

 基地反対派の人にも演習開始時間を教えてあげると、携帯電話で連絡をしていた。どうやら、仲間に知らせているようだ。堤防に戻って、漁師さん達と演習開始の時を待っていたら、次々と新たな基地反対派の人々がやってきた。年齢が高めの人が、20人ほど。その人たちが一気に浜辺にやってきたかと思うと、それぞれ写真を撮ることに熱中している。そのため、傍から見ていると、何だかバスで連れられてきた団体観光客のようである。中には、子供をつれてきたものの、砂浜を上手く歩けない子供を放って、我先にと写真撮影に熱中する母親もいた。演習を監視することが目的なのだろうが、むしろ逆に、大規模な演習があったほうがこの人たちは活き活きとしているのではないか?そんなことすら思えてくる。

 漁師の2人いわく、基地反対派は、地元の人ではなく、多くは本土から移り住んできた人たちだそうだ。確かに、言われてみれば、仕事の定年を過ぎたぐらいの年齢の人が多い。地元の人は、新たな基地建設にそこまで反対していない。一方で、基地に反対しているのは、本土からやってきた人ばかり。彼等はひたすら写真に撮ることに夢中で、米兵と話すことも、地元の人と話すこともしていなかった。

基地ある島で考える4 09  やがて、演習が始まった。水陸両用強襲車が、順に海へと出動していく。途中まで、キャタピラーで進み、ある程度行った所で、ジェットへと切り替える。車が通った後の海は、一目で分かるほど、色が茶色く濁っている。やがて、離れている僕らのところにも、ガソリンの臭いが漂ってきた。浜辺には、基地反対派だけでなく、沖縄の地元紙の記者や、名護市の市役所職員も来て、写真を撮りながら演習の経過を記録している。そのため、この演習の様子は、翌日の琉球新報でも写真入りで報道 されていた。

 そのうち、ぼくがあまりに興味深そうにしているのを察してか、漁師さんが、船で沖に出て近くで見てみようと提案してくれた。まさか、辺野古で、実際に船で海の沖まで見られるとは思っていなかった。2人に感謝しつつ、船へと乗り込む。沖から見た、演習と基地はどうだったのか。その続きは、また次回に。