事実は小説よりも樹なり 2004・5
基地の島で考える1 「いかにして辺野古に向かったのか」 (2004'02'25)



基地の島で考える1 01
沖縄・辺野古の海。鉄線のすぐ向こうはキャンプ・シュワブ基地
水陸両用強襲車が、演習開始を待っていた

 先週、沖縄へと行って来た。卒論で、「沖縄基地問題」について書いたのだが、実際に自分で現場へ行き、物を見て、人に会い、話しを聞いてきたい、そう思ったからである。特に、名護市にある辺野古(へのこ)という地区に行きたかった。ここは、米軍海兵隊の普天間飛行場の撤去に伴う代替施設を、海の上を埋めたてて造ることが決定されている。

 1月の半ば、書上げた卒論の口頭試問があった。現場を訪れることなく卒論を書上げたことにつき、情報は集めたものの、地元の住民の想いを聞けなかった、と反省点を述べた。すると、頷きながら聞いていた教授が一言。「で、辺野古行ってくるんだろ?」。はい、行ってきます、と即答する。

基地の島で考える 02  あれから、1ヶ月。ぼくは、2月だというのに半袖で、辺野古の海を眺めていた。波はなく、海面は輝き、想像以上に静かにたゆたっている。(写真)ここに新たな海上ヘリポートが出来るなんて思いもよらない。しかし、その平和な海が、全国紙の1面の話題になることもしばしばだ。現に、ぼくが辺野古へ訪れるのと時期を同じくして、1面トップ記事として取り上げられている。「普天間飛行場 米『代替なしで返還も』」(毎日新聞2004年2月13日朝刊)、「普天間返還 事態打開へ日米協議」(毎日新聞2004年2月20日朝刊)、といった具合だ。この「代替施設」が建設される予定地こそが、辺野古沖の透き通った海なのである。

 ぼくが辺野古へ行った日には、鉄線を隔てた向こうのキャンプ・シュワブ基地内の浜で、ちょうど水陸両用強襲車による演習が行われるところだった。それを見て、地元の漁師は言う。「あれが海の中を通ると、せっかく仕掛けたタコ用の仕掛けが、位置がずれてめちゃくちゃになってしまうんだよな。」また、集まってきた平和運動家を見て一言。「あの人達は、皆、内地からやってきた人で、辺野古の人はいないよ。」えっ?そうなの?と、平和運動の人に話を聞くと、「東京出身です。6年前にこちらに移ってきました。平和団体の代表もしているんです。」、とのこと。

基地の島で考える 03  鉄線のすぐ向こうには、米兵が演習の開始を待って、やや暇そうにしている。演習はいつ始まるの?と聞いてみる。「え?いつ始まるかだって?そうだなあ、あと30分ぐらいかなあ。オレ達?4人ともカリフォルニア出身。オレは24歳で、一番若いのは、コイツ、18歳。」そう話してくれた1人の兵士は、日系人のような顔立ちをしている。同い年ということもあって、何だか親近感を抱く。(写真)

 地元の漁師の人々。本土出身の基地反対派。カリフォルニアから来た米兵達。そして、そこへと紛れ込んだ東京の大学生であるぼくが見たもの。基地の島の持つ、一枚岩でない人々の姿、風景を、これから数回にわたってレポートする。