事実は小説よりも樹なり 2004・3
総括・2003年! (2004'01'29)



スクラップ・ブック
我が相棒のスクラップ・ブック
詳細は、本文にて

 2004年も、もう1月が終わろうとしている。その前に、昨年1年間を改めて振り返り、10にまとめてみようというのが、今回のテーマ。2002年度は、10にまとめるのが困難なほどだったが、今回は逆にそれだけ挙げるのが難しいほどである。前半のハワイの日々には、多くのことがあったのだが、日本に帰ってからは、印象的な出来事が減ってしまったからだ。以下に日付順にまとめた。

 1.ワイキキビーチで、花火と共に新年を迎える(1月)
 ハワイに留学したおかげで、こんな芸能人のような年越しを迎えられた。ビーチに多くの人々が集まるなか、波打ち際で「A Happy New Year!」と口々に叫ぶ。元旦には、ハワイ出雲大社へ「初詣」にも行ったし、ダイアモンド・ヘッド・ビーチで「初サーフィン」も行なった。

 2.フラ・ダンスに挑戦、発表会にも出場(1月〜4月)
 年明けからの後期の授業で、フラ・ダンスの科目を受講した。25人ほどのクラスのうち、男子学生は4人のみ。踊りだけでなく、「オリ」と呼ばれるハワイ語の歌を覚えたり、「ハク・レイ」と呼ばれる頭を飾る花輪を手作りしたりと、大変ではあったが、楽しかった。そして、発表会のあとの何ともいえない充実感。あれは、間違いなくハワイで感じたもっとも心地よい時間の1つだったと思う。

 3.グレート・アロハ・ラン完走(2月)
 12月に開催されるホノルル・マラソン以上に、地元ハワイで人気が高いのが、このイベント、「グレート・アロハ・ラン」。「アロハ・タワー」から、「アロハ・スタジアム」までの約13kmのショート・マラソンだ。前年12月にホノルル・マラソンに出場し、すっかり走る楽しさの虜になっていたため、当然のように参加をする。本気で走って、1時間2分42秒。ゴールした11785人中、588位。

 4.「沖縄セミナー」への参加(1月〜5月)
 1月も終わりになって、高校時代に部活が一緒だったノリヒトが、研究のためハワイへやってきた。日系移民の研究をしているらしく、春休み中2ヶ月丸々滞在するという。ちょうど同時期、ハワイ大学東西文化センターで、「沖縄セミナー」なるものが始まった。沖縄出身の先生や学生が昼休みに集まって、沖縄について広く勉強会を行う場であった。ノリヒトと共に出席をさせてもらったのだが、沖縄基地問題を勉強したくて留学した自分にとって、非常にためになる講座であった。

5.琉球國祭り太鼓をはじめる(3月)
 その「沖縄セミナー」の縁で、琉球國祭り太鼓ハワイ支部のステージを観る機会があった。その太鼓を叩く格好よさに惹かれ、練習に参加させてもらうことにする。祭り太鼓自体の楽しさに加え、「旗持ち」の手伝いとしてステージに同伴させて頂いたり、メンバーの方々に仲良くして頂いたりと、貴重な体験を数多くした。日本に帰る際には、ケーキを用意してくれて、餞別にコア・ウッド製のフォトアルバムまで贈って頂いた。感謝感激。大切にしております。

6.ハワイ大学留学終了、成績オールA(5月)
 9ヶ月の留学生活は、本当に「あっ!」とう間に過ぎていき、終わりの時がやってきた。最初の学期に、政治学科の授業で「D」という最低の成績を、それも半ば教授のお情けでつけてもらったのだが、やはりそれではいかん!と一念発起。後期には、全ての科目で「A」を取得。嬉しかったなあ。5月24日に日本帰国。

7.就職活動始める、沖縄へ受験(6月〜)
 5月のハワイ大学終了後、旅行もせずに日本に直帰したのは、就職活動を行うためだった。6月、7月と、沖縄の会社を受けるために2回沖縄入り。そのどちらも、1泊2日という強行日程。結果は、どちらも×。この後、「何をするにしても、まずは仕事を決めてから。」と考えていたために、2003年の夏を丸々バイトだけで、他に何もしないで過ごしてしまう。もったいない。

8.世界のウチナーンチュ会議(9月)
 上記の2社を受けた後、東京でも会社受験。そのうちの1社は、面接がこの「ウチナーンチュ会議」と重なったため、こちらを優先。この会議の「ユース・プログラム」が、上記「沖縄セミナー」のメンバーを中心に企画されたからだ。さらに、「琉球國祭り太鼓」のステージにも、手伝いとして参加する。「ユース・プログラム」での話し合いの様子は、沖縄の新聞でも取り上げられ、TVでは特別番組として放送された。

9.アルバイトに明け暮れる(7月〜12月)
 夏のアルバイトは、ウチナーンチュ会議に参加するための旅行費を稼ぐため。秋のアルバイトは、旅行で使ったカード代金を支払うため。そういった理由で、夏から冬にかけてアルバイトに明け暮れていた。就職が決まらない分、今のうちに貯金しておこうという気持ちもあった。そのため、休日返上で働き続けていたのだが、休みが無いとやっぱりダメだな。休息という意味では何とかなるのだが、新しいものをインプットする機会がめっきりと減ったことが問題だった。おかげで昨年後半、ウチナーンチュ会議を除いて、印象に強く残ったような出来事がほとんど無い。

10.卒論に取り組む(12月)
 テーマは、沖縄基地問題。ぼくの大学生活は、正にこの「沖縄基地問題」を追い続けた5年間であった。卒論執筆は、その自分なりの結論を、ここで一旦出すという作業だった。時間的な制約から、現地取材は断念。執筆中、最も役に立ったものは、どんな参考文献でもインターネットでもなく、自分がコツコツと続けてきた新聞の切抜きのスクラップ・ブックであった。(写真)文字通り世界に1つしかない、自分だけの宝物のようなファイルである。こうして、卒論を執筆しながら新しい年を迎えた。

 2004年。既にこの1ヶ月で、卒論を提出し、空手のサークルを引退し、最後の大学の試験も終了した。今年こそは、就職先も決めたいし、石垣島へ車の免許合宿にも行きたいし、国内海外問わず旅もいっぱいしていきたい。それらは、また1年後に総括していくことにしよう。