事実は小説よりも樹なり 2004・1
卒論提出を終えて (2004'01'10)



波の上
明けましておめでとうございます。
初詣は行きました?こちらは、那覇の波上宮。
日本の神社に不釣合いなほどの青空ですね。

 やっと、卒論が完成した。本当は、年内に終える予定であった。とりあえずは、これで1つ案件が済んだという感じだ。それにしても、まさか年越しの瞬間にまで、深夜のファミレスで執筆することになるとは、思ってもいなかった。

 テーマは、前回紹介したように、「沖縄の米軍基地問題」。目的は、沖縄から基地を整理・縮小するプロセスを示すこと。このような卒論になったのは、「沖縄に米軍基地はいらない」ということを、「なぜ」いらないのか説明するだけでなく、「どのように」なくしていくのか説明することも重要だと、常々感じていたからである。

 この「どのように」という問題は、究極的には「私たち1人1人に何が出来るのか」という問題に行き当たる。卒論では、当面の解決策として、?日米安保条約の「極東の範囲」を超える米軍の撤退、?日米地位協定による法的根拠に欠ける「思いやり予算」の廃止、という2つを提示した。しかし、これらを実行するためには、日本政府の政治意思の変革こそが必要である。議会の多数を占める与党によって、政権は組織されるのであるから、日本政府の政治意思変革のためには、まず国民1人1人の民意が変わらなくてはならない。正確に言うならば、民意は「賛成」、「反対」、だけではない。それ以前に「どうでも良い」と関心を示さない有権者も、若い世代を中心に数多くいる。選挙における投票率の低さが、これを物語っている。これら、無関心の層にも、「この国のかたち」を考えてもらうことが必要となってくる。そのための方法としては・・・。

 月並みな結論でしかないが、他人の前に、まず自分が深く興味を持つこと。そして、「おかしい」と思ったことには、「おかしい」と口にすること。大勢の前でなく、家族や友人との何気ない会話の際に、お互いの意見を交換して考えること。

 そんなことを考えていたとき、1人の沖縄の高校生が書いた論文を目にした。高校の授業の一貫で、各生徒がそれぞれ自分でテーマを決め、論文を書いたようである。その中の、「海上ヘリポート建設から考える平和の創り方」という題名の論文で、とある女子学生はこう書いていた。

 「(海上ヘリポートの建設は、沖縄県知事ではなく)結果的に最終的な判断を下すのは首相だということになるようです。特に、国家間の外交においては地方自治体の首長が外交を行うことができないので、決定する権利は首相にあるといえます。
 これらのことを考慮すると、平和を創るには正しい平和への理解を一人一人が深めることです。その一人一人の理解が集まり民意になります。この民意を生かしてくれる良き代表者を選出して米国はもとよりその他諸外国と対等な立場で外交を行うことが平和獲得につながると思います。平和の大切さを身近に感じることのできるこの沖縄で、大人の行う政治や外交にもっと興味をもつことが、これから私達が築いていく社会を良くすると思います。常に平和について考えること。これが平和の創り方です。」
(森弘達 編著 『わたしたちの「沖縄問題」』 ボーダーインク 1998)

 正直、びっくりした。こちらが、大学の卒業論文でやっと達した結論を、高校生が既に考えている。特に、最後の「常に平和について考えること。これが平和の創り方です。」との言葉には、鳥肌が立つ思いがした。

 改めて、自分の足もとを見て考える。ぼくは、東京で生まれ、東京で育った。東京にも、横田基地があり、在日米軍の司令部が置かれている。横田基地の周辺住民も、飛行機の騒音に苦しみ、何度も訴訟を起こしている。しかし、ぼくは、横田には目もくれずに、沖縄も問題ばかりを眺めている。これは、二重基準ではないのか?

 *

 なぜ、ゼミ論を書いているのか?誰に向けて、ゼミ論を書いているのか?
 ここ数週間ほど、事あるごとに、頭をよぎった問いである。沖縄の米軍基地を整理・縮小するため、そのプロセスを提示するためにゼミ論を書いている。
 では、本当に、沖縄の人は基地がなくなることを望んでいるのか?東京に住みながら、横田基地の問題に関心の薄い自分のように、基地に隣接した地域に住む住民以外は、そもそも感心も薄いのではないのだろうか?だとしたら、このゼミ論は、何のため、誰に向けて書いているのであろうか?

   結局、本や新聞、インターネットを見るだけでは、そのあたりのことは見えてこない。当初は、沖縄に取材に行って、直接現場に行き、人に会い、様子を見て、話を聞いてくる予定であった。しかし、情報を、まず集め、まとめることが精一杯で、実際に足を運ぶことが出来なかった。その意味では、仏を作って、魂を入れることが出来なかったとも言える。

 いささか矛盾しているが、卒論を書き上げた今だからこそ、沖縄に行きたいと強く思っている。加えて、横田や横須賀の米軍基地も見に行きたい。そうすることによって、はじめて仏に魂が入る。卒論の提出で終わるのでなく、これからも常に「沖縄基地問題」について考えること。それが、ぼくに出来る「沖縄基地問題」の解決策なのだと思う。