事実は小説よりも樹なり 2003・9
自衛隊観艦式2 「誰がための観艦式か」 (2003'11'12)



観艦式2 「誰がための観艦式か」02
観艦式の話、続き
横須賀・吉倉岸壁に並ぶ護衛艦の数々

 先週に引き続き、今週も観艦式(かんかんしき)の話題。今回は、そもそも観艦式って何?ということについて。

観艦式の歴史

観艦式2 「誰がための観艦式か」02  観艦式の由来は、1341年のイギリスにまでさかのぼるそうだ。「当時イギリスの国王であったエドワード3世が自らの艦隊を率いて英仏戦争に出撃する際に、その威容を観閲したことが最初だといわれ、日本では1868年に明治天皇が大阪・天保山沖で行った『観兵式』が、現在にもつながっている観艦式の始まりだといわれている。」(防衛ホーム、2003年10月26日号外より)そう、艦隊を観る主体は、元々国民ではなく国王であり天皇であった。戦前の大日本帝国憲法では、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)と定められている。統帥者である天皇が自らの軍隊を観る式典であったのだ。

 戦後になり、日本は「陸海空軍その他の戦力」を保持しないことになったはずだった。しかし、1950年、朝鮮戦争の勃発により警察予備隊が設置させられる。1952年に保安隊に改編、1954年自衛隊として組織される。但し、海上自衛隊の場合、設立の背景がやや異なる。1952年、警察予備隊ではなく「海上警備隊」として発足。その後、「警備隊」と改編された後、1954年「海上自衛隊」として設置される。ちなみに、戦後の自衛隊海外派遣は、湾岸戦争後のペルシャ湾での機雷除去が最初ではない。実は1950年に、海上保安庁の特設部隊として、日本の掃海艇が米軍の要請により、秘密裏に朝鮮半島周辺海域で機雷除去作業を行っている。その際に、何と死者まで出しているのだ。

   さて、話を戻そう。1954年、自衛隊が発足した後、1956年に自衛隊記念日が制定。これに伴い、翌1957年から記念事業の一環として、観艦式が復活した。観閲官は、天皇から内閣総理大臣もしくは防衛庁長官へと変わる。それ以降、ほぼ毎年、開催場所を転々としながらも、観閲官には主に防衛庁長官を迎えて開催されている。歴代の記録を見ると、1964年には、小泉首相の父である小泉純也氏が防衛庁長官として観閲官をつとめたようだ。小泉首相は、親子2代で観艦式の観閲官をつとめたことになる。

 その後、オイルショックにより一時中断もするが、1981年に再開。以後、一貫して相模湾で開催され、観閲官も内閣総理大臣がつとめるようになる。1996年以降は、自衛隊記念中央観閲行事を3自衛隊が持ち回りで行うこととなり、1997年以降は3年に1度行われている。

観艦式の様子

観艦式2 「誰がための観艦式か」03  では、「観艦式」自体はどのように進められるのか?今年の場合、期間は10/19〜10/26の8日間に渡った。初日に部隊が集結したあと、事前訓練と一般公開をくり返す。観艦式の予行をした後、最終日に「観艦式」本番が開催される。ぼく自身は最終日の本番ではなく、一般公開日に泊まっている艦船を見学に行ったという訳だ。

 本番においては、小泉首相などを乗せた護衛艦「しらね」を旗艦とする7艦の観閲艦隊が、20あまりの艦列を組んだ受閲艦隊の間を走りながら、それらの艦隊と航空部隊を眺める。その後、砲撃や爆弾投下といった訓練も披露されるそうだ。

誰がための観艦式か

 では、そういったことを行う目的は何か?海上自衛隊のホームページには、以下のように書かれている。「平素から培ってきた自衛隊の実力を内外に示し、国民の自衛隊に対する理解と信頼及び海上防衛についての理解を深めるとともに、隊員の士気高揚及び部隊練度の向上を図ることを目的としています。」戦前、あくまで統帥権者である天皇に対しての観艦であったのに対し、戦後の観艦式は、国民に対して理解を深めるために変わっている。実際に、多くの一般市民が観艦式において乗船をして参加をしている。

 一方で気がかりな点もある。「帝国海軍」とのつながりを過度にアピールしている点だ。先述の自衛隊ホームページでは、「観艦式の概要」にて、「帝国海軍」の観艦式のことにふれ、「昭和15年横浜沖において実施された紀元2600年記念特別観艦式」は、「艦艇98隻、596000トン、航空機527機が参加した壮大なもの」であったと述べている。

 また、観艦式当日に配布された「防衛ホーム 2003年10月26日号外」でも、全8面のうち、1面を丸々「帝国海軍」とのつながりについて割いている。そこでは、日露戦争時の「東郷ターン」について触れ、こう書かれている。「今日、展示会場で艦群がきっと見せてくれる一糸乱れぬ展開。この技術や連度の高さは“『東郷ターン』を行うために一秒の誤差も隊列の乱れも許されない”そんな全艦の一体化と通じるものがあると思ったんだ。」「海上自衛隊と帝国海軍。全く違うものだけど、精神は受け継がれているところがあるのかな。」

 恐らく、戦前に帝国海軍は陸軍と比べて穏健派であったということもあり、このように帝国海軍を全否定せず、繋がりを強調しているのだろうと思われる。しかし、やはり戦前の帝国海軍とのつながりをアピールするのは良くないのではないか?例えば、現ドイツ海軍が、ナチス・ドイツ海軍とのつながりを言及したとしたらどうだろう?それは、旧ナチス・ドイツと完全に決別できていないことを意味する。同様のことは、海上自衛隊にも言えよう。例え、内実としてどれだけつながりが深いとしても、ホームページやパンフレットで見受けられたような、帝国海軍の延長線上として海上自衛隊があると受け取られてしまうような解説には疑問を感じた。